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2023/02/15 ボボボブログ 良い陰口

まずは話の種

  • 火災報知器で起きた話

  • アートの定義を決めてやる。

  • 温泉、銭湯、特にサウナは流行ったらサービス体験が下がるという奇妙なパターンに分類される。結果的に、人にお勧めしちゃいけないというかなり特殊な位置付けの娯楽になっている。ここだけ切り取ると反資本主義的に聞こえて面白い。少人数で切り盛りする飲食店もそうらしい。

  • 自分の時間の使い方はバグってる。効率を上げよう下手くそなマルチタスクを試みるが、結構簡単に浪費もしてしまう。ただし本の速読をしちゃった時は、うわっ、やっちまった、となる。活字の波に乗せられて視線が走り出す感覚は気持ちいいが、少なくとも今の自分は読書体験にそれを求めていない。文筆が下手くそな分しっかりと読み込みたいのだろうか、、?

  • 日頃の頭の中の独り言がnoteの日記に書くための文体になってきた。良くも悪くも表現が「硬い」ので案外良い気分ではない。人に思考を晒すことが前提で思考を練っているようでなぜか支配されてるように感じてしまうが、実際は多分こっちの方が建設的だし記憶にも定着しやすそうなのでなんともいえない。切り替えができたら一番良いのだろう。

  • 日英ネイティブだからか概念で考える事がよくあった。父がアメリカ人で母が日本人だったため両言語に幼少期から晒されていた。そのせいかわからないが、今でもたまに、言葉よりも概念が先走りして、自分の中の直感と価値観と一握りの客観性を練り込んだような塊が紆余曲折を経ながら言語として形を得る、そこで初めて記憶に定着するためのとっかかりを得る;そんな感じの体験というか思考方法をしていることに気付いた。

  • アプリのキャンペーン広告とかにある、○○をして、○○しよう!みたいなの見ると、しねーーよ!ってめっちゃなる

  • 自分は「ファン力」がない。「ふぁんか」ではなく、「ファンりょく」誰かの推し活に勤しんだり、追いかけたり。好きなバンドとか画家とかはいる。ただそれが自分以上の優先事項になることはない。事実、自分が好きなバンドに自分がしている貢献といえばspotifyでの再生数を目に見えない程度にかさ増す程度なのである。ただそれは心を動かされないとかでもない。その人たちの作る芸術によって涙が抑えられないほど心が動かされたことは数え切れないくらいあるのだ。そしてそれに感謝もする。ただまぁあなた売れてるし別に自分がわざわざお金を払う必要もないだろう。みたいなある種の「冷め」と思われてしまってもしょうがないような感覚も同時に持っている。おそらく「推し」がいる人、当の本人が売れてるかどうか、使ったお金の何割が本人たちに届くのか、というような発想は邪念とすら思えてくるのだろう。

良い陰口みたいな授業の話

デジタルコンテンツクリエイションの授業を興味本位でとっている。この授業は中々奇怪な社会構造を象徴している気がしたので書き残したい。授業そのものは先進的だね、という感じで刺激的。楽しい。まず、教授が日本産ゲームの重度なオタクなのだ。授業が終わるたびに出席確認用のグーグルフォームを提出するのだが、そのフォームに毎回、各授業で共有された特定のコードを入力することで出席を証明する。そしてそのコードがほぼ毎回日本産ゲームのタイトル名だったりする。SUPER METROID, KURBY, SONIC THE HEDGEHOGだったりした。そしてそんな教授を取り囲む生徒もまた日本のゲームオタクがほとんどだ。
「ゼル伝最高だよな!」
「ファイヤーエンブレムの新作は微妙だったよな、、」「ダークソウルのボスのデザインの左右非対称性が産む緊張感は天才的だ」
多国籍な面々が日本のゲームについて批評して、教授との質疑応答を交わして、日本のゲームからどうすれば良いゲームが作れるかというノウハウを精一杯抽出しようとしている。
本題に切り込むと、その授業を奇怪にさせるのは授業内容そのものじゃない。生徒の国籍の比率なのだ。

80人も生徒がいるのに自分以外の日本人が一人もいない。

人っこひとりいない。いやいや、流石に見落としてるだけで一人くらいいるでしょ。いや、それが確かめたのだ。名簿をじっくり見た。出席フォームを提出する際に、自分の名前のところに手動でチェックを入れるのだが、その際に他の生徒の名前が全員分見れる。そこにはアジア人の名前もたくさんあったが、日本人っぽい名前は一つもなかった。流石にびびった。こんなに日本のコンテンツをメインに扱っていて、みんなが共通理解を示しているのに、日本人が自分しかいない。そして誰もその事実をおそらく知らないし気にもしていない。日本の文化が海外でいかに一人歩きしているのかをまじまじと見せつけられてとても小気味悪かった。自分の噂話がいつの間にか学校中に広まって、いつの間にかみんなの共通認識になっているのに、それでも自分は自分の噂話が広まっていることに気付かない感じ。
この場に限ってはほとんどが賞賛なのでもちろん嫌な気はしない。ただその場に多種多様な人種が揃っているのに、その文化を最も深く理解し共感しているはずの日本人が不在なのがどうしても気持ち悪い。外国だと日本のコンテンツの話をするときに日本人がいないことがもはや当たり前なのかもしれない。そうだと仮定しても、別にいじめられてるわけじゃないがそれはそれでハブられてるみたいな感じでどっちみち落ち着かない。内容は良くても陰口というものは聞いていて不憫だ。それとも、アジア人の生徒がたくさんいるので、どうせ日本人も何人かいるだろ、とでも思われてるのだろうか。というかそもそも正確にいえばここに一人孤独に足を閉じて日本人が座ってはいるのだが、そういうことじゃない。そう考えると声をあげない自分も悪いなと思えてくるなぁ。。。
じゃあ仮に発言する機会をいただいたとしよう。だがそれはそれで何をいえば良いかわからない。なぜなら別にみんなが的外れなことを言ってるかといえばそういうわけでもないからだ。そもそも日本人はおそらくこの場に求められていないのだ。日本でドミノピザうまいよねーといった類の話をしてるときにわざわざアメリカ人の意見が聞きたいかといったら別に求めてるわけではない。だって、ねぇ。どうせアメリカ人もピザうまいよねぇって言うもん。
いやしかしこれは良い比喩かもしれない。ここでアメリカ人に訊きたいことを自分は日本のゲームについて話せば良いのだ。よしいっちょ質問を考えてみよう。

1. アメリカではピザってどういう立ち位置なの?
2. 実際毎日食うの?

アメリカのピザって、、えーーーっと、、、
3. アメリカ人としてピザに一言!!

よし、じゃあこれら3問を日本人にとってのゲームに変換してやるぞ!

  1. 日本だとゲームはここ最近やっとサブからメインカルチャーに移ってきたかな。着々とプレイ人口は増えているし、コロナ禍のNintendo Switchの普及で一気に一般的な娯楽になったと思う。ただ、日本の老人は厄介で、いまだに健康に悪いだの言ってくる世代はしつこくいるね。

  2. 毎日遊ぶかは人によるね。

  3. えっ、、うーーーんと愛してくれてありがとう!!!


じゃあ、また、、

斎家リック

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