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『反復ドリル』と『ゲーム・ライク・ドリル』の狭間で

脳内で繰り広げられる葛藤の中、本記事を書き始めたことをまずは明記しておこう。

『反復ドリル』と『ゲーム・ライク・ドリル』の狭間で揺れに揺れているのだ。

『反復ドリル』と『ゲーム・ライク・ドリル』

前回の記事でも触れたが、筆者は小学生カテゴリでのコーチングに携わっている。そこでのトレーニング計画・実践の中で常に葛藤を抱えている。

その葛藤とは『反復ドリル』と『ゲーム・ライク・ドリル』をどのようにトレーニングメニューの中に落とし込むのかということだ。

この葛藤は今になって始まったことではない。これまで試行錯誤しながら、メニューへの落とし込み方をずっと考えてきた。

うまくいくこともあればうまくいかないこともある。これが正解だと思えば、またすぐに突き放されてスタート地点に戻る感覚。こうした波を繰り返しながら昨日ちょうど現チームでの1年度目の活動を終了したところなのだ。

この葛藤はある種の永遠のテーマだとさえ思っている。この区切りに今一度振り返り、自分としてこの葛藤を言語化しておきたいと思う。

まず、それぞれのドリルを自分の言葉で定義しておきたいと思う。

想定内の『反復ドリル』

私の考える反復ドリルとは、特定の獲得したい動作を習得するため、ある一定の環境下において同じ動作を繰り返し行うものを指す。

「一定の環境」や「同じ動作」には当然幅があると思うが、基本的にはそのドリルを行う人にとって「想定内」のことしか起こらないのが反復ドリルの本質だと考えている。

想定外の『ゲーム・ライク・ドリル』

私の考えるゲーム・ライク・ドリルとは、実際の試合(ゲーム)のような(ライク)環境設定の元で、それぞれのプレーヤーが自らの判断でプレーするドリルを指す。

コンセプトとして常に「ゲーム」が強く意識されるドリルであり、ゲーム同様に何が起こるかわからない、つまり「想定外」のことが常に起こるドリルである。

また、「ライク(〜のような)」という言葉にある通り、決して「ゲーム・ドリル」ではない点に意識的である必要がある(練習試合はゲーム・ライク・ドリルではない)。状況設定やプレー条件を付け加えることによって、ゲームで起こり得る状況を意図的に生み出すという意識がこのドリルには内在している。

『鶏が先か、卵が先か』問題

『反復ドリル』と『ゲーム・ライク・ドリル』の関係性は『鶏が先か、卵が先か』問題に似ている。

この問題の説明については、Wikipediaの力を借りたい。

「鶏が先か、卵が先か」(にわとりがさきか、たまごがさきか)という因果性のジレンマは、平たく言えば「ニワトリとタマゴのどちらが先にできたのか」という問題である。昔の哲学者にとってこの疑問は、生命とこの世界全体がどのように始まったのかという疑問に行き着くものだった。
教養的な文脈で「鶏が先か、卵が先か」と述べるとき、それは互いに循環する原因と結果の端緒を同定しようとする無益さを指摘しているのである。その観点には、この問いが持つ最も根源的な性質が横たわっている。
※Wikipediaより引用

引用箇所の「教養的な文脈で「鶏が先か、卵が先か」と述べるとき、それは互いに循環する原因と結果の端緒を同定しようとする無益さを指摘しているのである。」にあるように、『反復ドリル』と『ゲーム・ライク・ドリル』のどちらが先か(どちらがより重要なのか?)という問いは無益なのである。

詰まるところ、どちらも重要なのである。

『反復ドリル』と『ゲーム・ライク・ドリル』の行き来の中で

先に書いた私の葛藤をもう一度、提示しておく。

『反復ドリル』と『ゲーム・ライク・ドリル』をどのようにトレーニングメニューの中に落とし込むのか。

私の現時点での精一杯のまとめ(まとめにもなっていないかもしれないが)は、次の通りである。

『反復ドリル』と『ゲーム・ライク・ドリル』の行き来を繰り返す中で、そのチーム・プレーヤーの状況に合った最適バランスを発見するし続けることが重要である。

ここでの「最適バランス」は、初心者が多い育成カテゴリのチームと成熟したプレーヤーによって構成されるような選抜チームとでは大きな違いが出てくる。その「最適バランス」はチーム・プレーヤーに依存して変化するということになるだろう。そして、同じチーム・プレーヤーであったしても時期や状況によっても常に変化し続けるものでもある。

本記事で扱ったようなコーチングに関わる葛藤は、コーチであることを止めるまでずっと続くだろう。逆に言うと、この葛藤がなくなったときにはコーチをやめなければならないと思っている。

答えのない問いを考え続けることは苦しいが、生きている実感を与えてくれる。

バレーボールに関する記事を執筆しています。バレーボーラーにとって有益な情報を提供することをコンセプトにしています。