『否定の道』中での試行錯誤
冒頭から書籍の引用となったが、このやりとりから何を感じるだろうか。
これは、ダビデ像に関してのローマ教皇とミケランジェロとのやりとりである。
否定の道
先に紹介したやりとりから学ぶべきこと。
それは『「すべきではないこと」は「すべきこと」よりも重要だ。』ということである。
具体的に、私たち一人一人の人生に置き換えて考えてみよう。
こうした思考法をキリスト教神学の分野で『否定の道』と呼ぶとのことである。
『否定の道』とは削ぐこと
『否定の道』という思考法の根底には「すべきこと」が何なのか(本当に幸せな人生を送るために何をすべきなのかということ)を見つけ出すことは極めて難しいという考えがある。
そして、そこを出発点に「すべきではないこと」が何なのか(本当に幸せな人生を送るために何をすべきではないのか)を見つけ出すことならできると考えるのである。
このように考えると、すべきではないこと、つまり「ムダ」を削ぎ落としていくことが、最終的にすべきことへの集中、つまりは「本質」へと近づいていくことに繋がるのである。
「削ぐ(減らす)」という価値観
これは、私の感想であるが、世の中に流布する価値観として削ぐことは歓迎されていないように思う(変わりつつあるが)。その理由を考えてみると、削ぐという言葉からは「減らす」といったイメージが連想され、「増やす」ことが重要であるという価値観が主流の現代の資本主義社会では歓迎されていないのではないかと考えている。
社会の価値観に対して無意識的にいると、自然と「増やす」ほうに思考は傾いていくように思う。
しかし、いま一度、最初の引用部分の言葉を思い出してほしい。
「すべきではないこと」は「すべきこと」よりも重要だ。
「すべきではないこと」を削ぐという価値観が人生をより良いものにしてくれる。
『否定の道』中での試行錯誤
さて、そろそろ結論へ。
ここまで「人生」という少し壮大ともいえるスケールで話をしてきたが、「育成コーチングの現場」に当てはめて考えてみたい。
コーチは、一人一人のプレーヤーが各自のゴールに近づけるように行動する。そのプロセスでは、新しい様々なチャンレンジすることとなる。そして、チャレンジし続ける中でやがて気づき始めるのである。
すべてをやっていては時間が足りないと。
プレーヤーがゴールに近づくために、本当に「すべきこと」は一体何なんだと。
そんなときに「否定の道」は威力を発揮する。
「すべきこと」ではなく「すべきではないこと」が何かと自問するのである。
「すべきではないこと」が何かを判断することは比較的容易い。あとはそれを削ぐプロセスを続けるのだ。
「否定の道」中で試行錯誤をすること。これを続けることができれば、自然と無駄は削ぎ落とされ、プレーヤーがゴールへと近づくことに幾許か役立つことができるようになる気がする。