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あとがき集、または日記(2021年)

この記事は日々更新される予定です。

2021年9月23日

有料マガジンを買わないと読めない記事ばかりアップしている作家さんを、特に何も買わずにフォローしている西火です。

きょうは「夢十夜」の「第三夜」を書きました。
文章を書いていると、頭がぼんやりしてきます。
文章の貯蔵庫が空っぽになってる感じ。
そうすると、記憶の奥のデッドストックがよく見えてくる。
それでちょっと取り出して見てみる。昔こんなの好きだったな、とか。貯蔵庫を少し整理するように。
それが終わったら、また読書で新しい文章を詰め込んで貯蔵する。
そんなふうにして読んだり書いたり。
noteはたのしいね。

2021年9月21日

きょうはとても疲れているので、難しいことを考える気力がない。
とはいえ何か書きたかったので、難しく考えずにショートショートを書きました。
「どんなに深い喜びの海でも、たった一粒の涙も溶けていないということはない」(谷川俊太郎)。
写真はヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻の肖像」をイメージしております。

ところで私は写真をとるのが好きです。
noteのカバー画像も自分がとりためた写真から選んでいます。ずっと特に使い道もなくとってきたのですが、noteを始めてから、なんでもかんでも写真をとってきてよかった、としみじみ思っています。

2021年9月20日

「第二夜」を書きました。ほんとうはミッションを失敗するたびに目が覚めて、2日にわたって同じ夢を見続けた。あれは地獄だった。

「第一夜」がやっぱり気に入らない。面白くない。
よく言われることだけれど、小説はやはり最初に「謎」を提示しなければいけない。ミステリみたいにそれが解決するわけではないけれど、その謎に引っ張られて展開していくのが常道。でも第一夜は「2時間後に死ぬ」と最初に言ってしまって結局死ぬので、何も謎がない。
これから謎を捏造しなければ。

2021年9月19日

「第一夜」、読み返したらあまりよくなかったので、かなり手直しをしました。
前に書いた「街は踊る」も手直しをしたいと思っています。直したらたぶん、テーマが変わってしまってコンテストには出せなくなるけれども、しかたがないですね。

2021年9月18日

「夢十夜」の「第一夜」を書きました。
前にも少し書いた通り、書くという行為は性的なものと結びついている気がしているんですが、もしかしたら性は生きることそのものであるから、書くことは性であり生であるということなのかもしれない、などと思っています。noteのban基準がわからないのだけどこのくらいなら大丈夫だと思いたい。

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