ファイトクラブに身一つで乗り込む
ブンゲイファイトクラブ3に応募した。
自信がないことには自信がある。えっへん。
ブンゲイファイトクラブってなんだ?って?
こういうものだよ。
「権威よ、経済よ、これが言葉だ」のような煽り文句にしびれて書き出したのだけど、その煽り文句がどこに書いてあったかわからなくなってしまった。夢だったのだろうか。
その煽り文句が現実だったとして、おまえに権威や経済と戦える文章が書けるのか? そういうのを書いて送ったんだろうな? と問われると、いや、もう、土下座するしかない。土下座した頭を踏んづけられてもいい。
でもそういう文章が書きたいと思ってはいる。踏んづけられた頭の中で「いつかは…!」と思っている。
権威や経済、か。
自分が読んで、いいと思える文章の定義は「読み終わったときにふるえる」こと。そういうものを自分も書きたいと思う。
頭で構成を考え、緻密に計算して組み立てられる人をすごいと思うが、自分にあるのは「ふるえる」かどうかという、身体の感覚ひとつ。なんと脆弱な。
猫を飼ったことのある人なら知っていると思うが、猫が丸くなっているとき、背中のまんなかの毛を指でちょんとさわると、まわりの毛がざわざわっと動くんです。池に小石を落としたときの波紋のように。
でも、それを2回、3回とやっていると、猫の背中は反応しなくなります。
数時間経てばまた反応してくれるけど。
身体の感覚はそのように、1回目は敏感すぎる反応をし、2回目以降は慣れてきてしまう。文章を書いていて「自分の文章は、とりあえず自分の心身をふるわせることはできるか」を判断することさえ、かくも難しい。1回目は「自分すげえ」って思っても2回目以降は「こんなの何がおもしろいの」ってなる。そしてほんとうの評価はおそらく1回目と2回目の間にあるが、評価は山と谷の間のどこかと言われても、何も評価されないと大差ないわけである。
「自分の原稿でどのくらい心身がふるえるか」を評価してくれる温度計のようなものがあったらいいんだけど。