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(創作)銀色のきのこを摘むな

この作品はブンゲイファイトクラブ(BFC)に応募してあえなく落選したものです。

 山郎とはマッチング・アプリで知り合った。


 山郎という名前だったが山好きではないし、だれに聞いてもなぜ「山郎」なのかわからないという。山郎の奇妙なところはそれくらいで、あとはどこを切っても凡庸だった。顔はまあまあ端正で、中肉中背。ゲームが好きなシステム・エンジニア。人当たりがよく、だれからもきらわれない穏やかな性格だった。
 好きだったかと言われるとわからない。
 この人がいい、この人じゃなきゃだめだというわけじゃなかったが、いやだということが何もなかった。
 それで、つきあうことになった。

 われわれはインドア派だったので、デートといえば私の家でおしゃべりをして、ゲームをして、つまみを作ってお酒を飲むというものだった。山郎はレモンサワーが好きで、銀色の缶に黄色のレモンのイラストがついたものをコンビニで山ほど仕入れてきて水のように飲んでいた。
 ささやかなデートが続いたあるとき、なにげなく次は山郎の家にしない?と聞いた。
「いや、それはできない」
 山郎は強い口調で言った。それまで付き合ってきた数カ月の中で、一番強い意思表示だった。
「妹の荷物をあずかっててさ。足の踏み場もないんだよ」
 山郎はとってつけたように言った。
 それからは色々な理由をつけて断られつづけた。理由もころころと変わる。問いつめると「家がゴミだらけで汚い」と白状した。「一カ月だけ待ってくれ、片付けるから」と山郎は言うのだが「汚くてもいいよ、行ってみたい」と私が押し切り、しぶしぶながら了承を取りつけた。
 当日、山郎は浮かない顔で待ち合わせ場所にやってきた。山郎の家は東京の東側にあった。五階建ての古いマンションで、通路が北側にあって昼でも薄暗かった。通路からは川が見えた。
 「どうぞ」と言われて「おじゃまします」と中に入った。玄関や廊下はふつうだった。ゴミ袋が山のように積まれているのを想像していたので拍子抜けした。小さなキッチンやユニットバスが廊下に接続されていて、廊下を抜けると居室があるという作りだった。山郎がしかたなさそうに居室へみちびき、私はそのあとに続いた。
 居室は十平米ほどだった。特筆すべきは床だった。居室の床が、空き缶で埋め尽くされている。いつも山郎が飲んでいるレモンサワーの缶が、三百個くらいはあっただろうか。床が何色で、何が敷いてあるのか、フローリングなのかじゅうたんなのかもわからないほどに敷き詰められていた。
 空き缶以外はありふれた独身男性の部屋だった。大型のテレビとゲーム機、そしてベッドがあった。ベッドには青いシーツがかかり、整えられて清潔そうに見えた。
 山郎は「このあたりにけものみちがある」などと言いながら、空き缶をかきわけて進んだ。カラカラ、と空き缶同士がぶつかる音がした。私も彼について進んだが、けものみちがどこかはわからなかった。
 空き缶は洗ってあるのか、匂いがするわけでもなく、ベタベタするなどの不快なこともなかった。ただ床にあるものとしては異質な銀色のものが、ひたすらにたくさん置いてある。置いてあるというか、生えているようだ。薄暗い場所に息を潜めて生息する、食べてはいけないきのこのように。
 「もっとすごいのかと思った」と私は言った。山郎はあいまいに笑った。私たちはベッドの上に二人で座って、リモコンでテレビを、コントローラでゲーム機をつけて、対戦ゲームをした。夕方にはコンビニでつまみを買ってきて、ベッドの上で酒を飲んだ。それからどちらからともなく抱きあった。よくあるカップルの休日だった。床が空き缶で埋め尽くされていること以外は。その光景は日常のしっぽ骨みたいなもので、あってもなくてもよく、非日常を演出するほどのものでもなかった。
 それから何度も彼の家に遊びに行った。缶の床は私にも当たり前のものとなっていた。あるとき山郎は「片付けるから、手伝ってくれないか」と妙に照れくさそうに言いながら、ゴミ袋を渡してきた。われわれは缶を拾い集めた。ほんの十五分ほどの作業で、よくあるパイン材のフローリングが現れた。山郎は妙に興奮していた。われわれは広くてかたい床の上で抱きあい、山郎はすぐに出してしまった。行為が終わっても気分が高揚したままの山郎を横目に見ながら、私はぼんやりと、何かを永久に、決定的に失ってしまった気がしていた。へそのごまを取ったみたいに、寒々しい風が体の中に吹き込んでくるのを感じた。
 山郎は、それからしばらく興奮さめやらぬ様子で「いつでもおいで」としつこくメールをしてきたが、私は忙しさを理由に彼を避けるようになった。われわれのデートは間遠になって、会うたびに山郎は暗くなった。ときおり会うと「どうしてもっと会ってくれないんだ」と責め立てた。私はみじめな気持ちになり、関係をおひらきにすることにした。
 一度だけ、貸していたポータルブルゲーム機を返してもらいに、ドアの前まで行ったことがあった。ビニール袋に入れたゲーム機が無造作にドアノブに引っかけてあって、部屋の中を見ることはなかった。夕方で、川向こうに夕日が落ちていくところだった。山郎の部屋にいたとき、玄関にある小さな格子窓から、斜めに西日が差し込んできたことを思い出した。いびつな銀色のきのこ群が、橙色の夕日を乱反射させ、さまざまな色の光が壁に散った。山郎の部屋は、あのとき完成していたのだ。
 私の手の中で、ゲーム機の入ったビニール袋がカサカサと鳴った。

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