宗教の代わりに何をなすべきか? No.6

大乗非仏説、法華経非仏説

お釈迦様が誕生直後に立ち上がって七歩歩き、右手を上、左手を下に向けて、「天上天下唯我独尊」と語ったとか言うのは、悪い冗談でしょう。そんなことを産まれた直後に言い放ったとしたら、何と傲慢なことでしょう。とても諸々の衆生を大切に思っているとは思えない態度です。そもそも仏教は無我の教えだと言うのに。
どこかの禅僧が、「そんなことを言う奴は直ちに首を切ってやる」とか言ったとか聞きますが、なるほどと思います。

或いは、脇の下から生まれたとか言うのも作り話。
イエス・キリストが処女懐胎のマリアから産まれたとか説くようなもので、絶対化、超人化、神聖化のための、後世の作り話でしょう。

実際のお釈迦様は、釈迦族の王の子として産まれた普通の人。
釈迦の生母は、出産時の無理がたたってか、まもなく死亡してしまいます。その寂しも有ったのでしょうが、シッダールタ王子は一人物思いに耽り、病弱で、武芸に興味もなく、宮殿の外で活発に遊び回るようなことはなかったと言われます。

おそらく、子供心にも、死に別れた母親を想い、人生の無常をヒシヒシと感じていて、浮世の楽しみに全てを忘れて遊び戯れることが出来なかったのではないでしょうか?

そして四門出遊と言われる衝撃的体験を通して、この世の虚しい現実を見て、出家の決意を固めたと言われます。もし超人なら、ピッピッと念力か何かで、老人、病人、死人を救って、何も悩むこともなかったし、出家もせず、悟りも開けず、仏教を創造することも無かったでしょう。

後年、自分の一族である釈迦族が隣国に攻められて大虐殺に合い滅亡するときにも、何も特別な超能力で防ぐようなこともしていません。

お釈迦様は臨終の何日か前に、鍛冶工チェンダの供養の接待で、キノコ料理か豚肉料理かを食べて、食中毒症状を起こして、それがもとで、亡くなったと伝えられています。けして超人でもなければ、不死身でも有りません。お釈迦様自身が、もはや齢い八十になり、死滅の時が近づいていると繰り返しています。

お釈迦様を超人化、絶対化して、そこへの無条件的信心に囲い込む大乗経典

日本では、既に江戸時代に、富永仲基という思想家が、文献を詳しく調べて大乗非仏説を唱えています。明治に入ってから、西欧に伝わっていた南伝上座部仏典、パーリ語仏典や阿含経が紹介されるにつれて、釈迦滅後数百年たってから作られ始めてきた大乗仏教が非仏説であること、その一つの法華経も非仏説と言うのは、もはや動かし難い定説となっています。

大乗側からは、「原始仏教も直説では無い、非仏説だ」と言う反論は有りますが、余り有効では無いようです。例えば法華経自体に、「今まで仏は、四法印、四諦、八正道を説いてきた、それは愚かなお前たちを導くための方便だったのだ」(概略)、なんて書いてあるのですから、法華経を説く前に、原始仏教の教えが説かれていたことは、認めているわけです。



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