X回目の人生の転機
何か、大事なことを決めるとき、あなたはどうしますか?
人に相談するのもよし、徹底的に調べるのもよし、一人で悶々と考えるのもよし。
これといった、定石が存在しないように思われる。
僕は、30年弱生きていて感じるのは、けっこういつも同じようなパターンをたどっている。
具体的な例を挙げよう。
というか、こういう話題をしているのには訳がある。
転職をしようとしているのだ。
それで、どういう会社で働きたいとか、どういう人生を送っていきたいとか、いろいろ考えてみる。
ああでもない、こうでもない、と考える。
それで応募した会社は、一流企業やエリートな公共機関。
記念受験だ。
まったく橋にも棒にもかからない。
書類を出して、速攻に落選の連絡がくる。
そうやって、どうやら、やはりもっとランクが下というか、もっと現実的な選択を取るべきだと思い、中小企業を選ぶのである。
いつもそうなのだ。
気づいたのだ。高校受験もそうだし、大学受験もそうだし、就活もそうだったのだ。なんのことかというと、決めるまでのプロセスである。
いつも同じプロセスをたどっているのだ。
理想を追い求め、しかもまったく身の丈に合わない理想。
高望み。
建前上、この世は平等とうたっていても、現実にはいろいろ壁や階級が存在する。
受験でも、就職でもそうだが、僕は自分のできる以上の収入や地位を求め、拒否されることで、はじめて、自分の丈を認識する。
それで、やっと、あきらめる。
また同じことを、今回の転職で繰り返しているのだ。
わかっているのだけれど、改めて突きつけられるまで、自分を大きく見せたくなるのだ。挑み、しりぞけられ、そのあと、ひっそりと傷ついて、あきらめる。
たぶん、僕だけではないだろう。
人生一度きり、大きく出るべきだ、と意気込んでしまう。
なかなか自分の器を認めるのはむずかしい。
でもそれまでに、その器を磨いてきたのか?
そう問われると、自分を必要以上に大きく見せようとしていたのだな、と思う。
案外、自分は、なかなかの見栄っ張りなのかもしれない。