生業についての話

今回は生業に関する話

まず自分の話だが、親しい友人は知っているが
わりところころと職を変えがちだ
大体年一程度だろうか
まぁわざわざいうことでもないしな

根本的に働くことが本当に好きではない
お金がないと困るから
お金がないと好きなものが買えないから
お金がないと友人から遊びに誘われたときにごめんと断らなくてはならないから
お金がないと嫌なことを嫌と言えないから

とりあえずそんなような理由で仕方なく働いている

最近で言えば休日は特に何もしないし
恋人も居ないので大きくお金を使うイベントもないし
友人と出かけたりも全然ないので
プライベートがあまり面白くなくともそれでも働くよりは気が楽でいいやと思うくらいには好きではない
よく居る「家に居ても暇だから」と休日や遅くまで働く人も共感ができない

要は自分は仕事に対して熱量がないわけだ
生業
これで生きていく
これで一生を紡ぐ
真に心を懸ける
そういったものがない
今後出てくる可能性は捨てきれんが今の所は全くそんな兆しは見受けられない

よく自分は思うが
仕事に対して今までずっとそうだ
出来るからやっているに過ぎない
出来るからやってる
人より得意なことだから
これが金になるからやっている

仮に今はSEの端くれだがこれが自分に営業ができれば営業をしていただろうし
愛想が良ければカフェの店員をしていたかもしれない
数字に疎くなければ会計事務所で働くかもしれない
センスがあれば服を作ったり
絵を売ってもおかしくはないだろう

要はこだわりが特に無いのだ

以上を踏まえて特に最近思うことがある
これは自分の目の届く範囲では絵を描く人に多い気がするが

殺されるんではないかというくらい強迫観念に似た
「これしかないんだ」というくらい狭い視野で取り組んでいる人を見る

俺はそこまでの矜持があるもの
詰まるところ生業というかはないし、なまじそれなりに食い扶持は取れている
まぁ死にはしないというやつだ

「何もそこまでの熱量を注がなくても・・・」
「生きる術は道は他にもいっぱいあるのでは?」
と思いつつも

自分がそこまで熱量を注げる物がないから
己には所謂芯がないから
そう思うのかなという感情と

それほどまでに打ち込めるものがあるということと
その熱量に羨望がある

これは優先順位の話もあるんだろうなと感じる
大人になったらわかるが
「今、何してるんですか?」という質問は往々にして
「今はなんの職業をしているんですか?」ということになる
自分はこの手の言外の意味という事象が気に食わないが
要は大人になったら何かをしている事
其れ即ち仕事なのだ
してないほうがおかしいという排他的意思を感じるのは邪推かもしれないが

子供だったら「今遊んでいるの」など正しく今現在行っていることを答えるだろう

自分は前提として
自分が生きること>仕事
という根幹がある

どちらが良いとかいうわけじゃないが
こんな羨望を抱く時点で

自分も何かを軸としなければ
何者か(この場合は職業)に成らなくてはという強迫観念に支配されているのかもしれない

俺だよ