介護未経験の私が「介護」について思うこと〜#ジブンゴトへの道〜
こんにちは。
関西は梅雨入りですね。
ジメジメと鬱陶しいです。
さて今日は5月最終日。
「介護について語ってみませんか」
介護マガジン「ジブンゴトへの道」
「介護に関する記事をマガジン登録します」
そんな、うりもさんの投稿です。
今日が期限なので、ギリギリ滑り込みで、私の思う「介護」について投稿してみようと思います。
私は介護職についているけれど、介護を実際にした経験はない。
私の両親はまだ年齢も若く、互いに行動的で私なんかより、よっぽど好奇心も旺盛だ。
だから「両親を介護する」ということに対してまだ意識が低い。
そんな私が介護を語ることはおこがましいのかもしれないけれど…
私の夫である、めがね氏。
めがね氏の父(私からすると義父)は、数年前に他界している。
お酒、タバコが大好きな人だった。
嗜好品も度がすぎると身体に害をおよぼす。
義父はお酒の摂取を「ほどほどに」ができない人だった。依存症。
元来、気の弱い繊細な人なんだと思う。
お酒がないとうまく人と関わることが出来ない。飲むと気が大きくなり、近所の人とトラブルをおこす。それがストレスになり、また飲む。
負のスパイラル。
私と結婚した頃は、義父も仕事をしていたけれど、めがね氏が幼少の頃から義父は仕事もせず毎日飲んだくれていたらしい。
幸い、当時は少しお米を作っていたらしく、おかずはないけど、ご飯はある。ご飯と卵でなんとか生きられたなんて、めがね氏は面白おかしく私に話してくれていたけど。
成長期にお腹を満たす食べ物がろくにないめがね氏や義妹、義弟は、よく食べられる雑草を見つけて食べていたらしい。
いつ時代の話だよ…
だから、めがね氏は幼い頃
「大人になったら、好きなものを好きなだけ食べるんだ」
それが夢だったという。
私の実家は自営業だった。
裕福とまでは言えないけれど、バブル時代の恩恵もあり、苦労することなく育ててもらった。
だから私からすると、故人にこんなこというのはどうかと思うが、義父は
「クソオヤジ」だ。
仕事もせず、お酒ばかり飲んで、幼い子供達に食べたい物も食べさせてあげない。
なんてひどい親なんだろう。
正直そう思う。
そのお酒が原因で、晩年の父は糖尿病を患い、それでもお酒をやめられず、何度か血管が詰まり、緊急入院をし、血管拡張の手術をした。
それでも退院すれば、お酒を飲む。
また入院。
義母は若年性認知症で、義父のインシュリン管理もできなかった。
義弟は独身で、そんな義父と義母と3人で実家で暮らしてくれていた。
でも義弟も仕事がある。
夜勤の勤務もあったけれど、日勤だけの勤務に変えてもらった。
めがね氏は夜勤があるから、日中、自由な時間が多く、実家の様子を覗きに行ける。それも無理な時はヘルパーさんの助けを借りた。
私に何かできることを、めがね氏に尋ねても、めがね氏は介護関係の仕事をしている私に
「ケアマネージャーさん、いい人探して」
それだけだった。
ケアマネージャーさんとの連絡は私がしていたけれど…それだけ。
めがね氏や義弟は、義父や義母の排泄、入浴、食事、薬の管理。
特に義弟は、同じ家で生活していることで、本当に大変な毎日だったと思う。
義父が亡くなったあと、残された義母の認知症は加速していった。
義父のお葬式でも、実の娘である義妹が最初認識できず、随分時間が経過してから
「あの子○○やったん?」そう私に聞いていた。
私に対して義母は
「めがねと結婚したせいで苦労するね。ごめんね。あの子気が強いから腹立つやろ?」
私が答える
「そんなことないよ。めがねは優しいよ」
そのやりとりを義父が亡くなった日から荼毘にふす日まで何度繰り返しただろう。
その後、義母の徘徊がひどくなり、義弟やめがね氏ではどうにもならなくなった。
知らぬ間にケガをしていることも増え、ある日骨折で入院することになった。
義弟だけでは義母を見守ることは不可能になり、退院後、義母は介護施設に入所した。
ケアマネージャーさんが立てる
「介護サービス計画書」
これは介護サービスを受けるために必要なもの。
どのように介護をしていくか、介護を受ける方の家族さんや担当医、関わる介護事業所などの意見や提案をケアマネージャーさんが聞き取り、介護サービスの計画をまとめるもの。
そこには色んな事が書かれている。
特に家族さんの意見を拝読していると、いかに介護対象の方に思い入れがあるか、ないのかがわかってしまう。
その計画書を読み、感じることは、介護に心から向き合っている家族さんの意見は重みがある。いい事ばかり書いているだけではない。辛い事、しんどい事、限界がきてること。
でも。
それを意見できるのは、ちゃんと介護と向き合っているからなんだと思う。
めがね氏や義弟もそうだ。
ちゃんと介護と向き合って、自分達なりに、両親に対して後悔しないよう、精一杯向き合ったからこそ、今、義父や義母を在宅で介護していた時のことを笑って振り返ることができるんだろうと思う。
だから、私はまだ「介護」ということを、偉そうに語ることはできない。
義父や義母の介護を私はしたわけじゃないから。
でも思うのは。
いつかくるだろう、自分の両親に対しては、めがね氏のように、笑って介護を振り返って語れる。
そんな風に両親に寄り添えればなと思う。
最後までお読み頂きありがとうございます。