青年の賞味期限とインスタントノスタルジック
19歳最終日。午前四時頃までスマホを眺めながら岡叶先生の「だんしんち」を読んでいた。十代が終わる漠然とした不安を感じながら、「だんしんち」を読んで二十代に対しても少しは明るい考えを持てた気がする。
そして気づかぬ間に寝落ちして起床時間は正午を少し過ぎた頃だった。先輩からの電話で目を覚まして十代最終日なのにこんな自堕落な生活で良いのかなって思った。でも明日になればもう二十になって十代の賞味期限も終わってしまうのだから後の祭りだった。
それからは朝食とも昼食とも言えない時間に少し焦げた食パンを食べて家に遊びに来た先輩と音楽を聞きながら友人がバイトのシフトを終えるまで時間を潰した。
そして日が暮れた頃に友人のバイトが終わり合流して泊まりの買い出しに向かった、袋菓子とジュースと誕生日プレゼントだと行って俺に買ってくれた富士山麓。日付が変わると同時に封を切ると言った。
あと日付が変わるまで一時間もない今この記事を書いている。多分明日の、二十になった頃に加筆するんだろうと思う。けどもこの記事は十代最後に書いた記事でもう一生「十代に描いた記事」を生み出せないと思うと後悔がないといえば嘘になる。
けども二十になって酒を飲んでタバコを吸う、他にも様々な”自由”や”権利”と言われるものを手にするんだろう。
今まで眺めていたタバコも小説の中で飽きるほど見たコンビニで売っている小さなボトルのウィスキーを気まぐれに夜道で煽ることも出来るようになると楽しみだと思う反面すこし十代の不自由さを羨んでしまうんだと思う。
不自由さを羨んでしまうほど歳を撮ったんだと実感しながら、十代最後の一位感をキーボードを叩きながら浪費していく、きっとこの時間も賞味期限切れの俺は羨んでしまうんだと思う。
でもそんな事を考えても時間は止まってくれないし、思いの外秒針が進むのが早くなるような気がした。でもこんな感情も懐かしめるような、ノスタルジックだなんて言えるような大人になりたいと思う。