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移住生活の実感と入院中の気づき〜移住日記13闘病編

 入院中はいろいろな人と出会った。
基本的に休んでいるか誰かと話すかゴルゴ読むくらいしかやることがないので暇なのである。必然的に人と話すことが多くなるというか誰かとっ捕まえて話すというのが一種の娯楽みたいな感じになっていたのであるが、話すことといえば当然病気の話や体調の話が多くなる。そしてこういうところなのでどうして入院するまでになったかのストーリーが多い。

 トップレベルでつまんねえ話をするのは自分で、働き過ぎてぶっ壊れたくらいしか提供できない。こんな身も蓋もない中身のない話もなかなかないので人の話を聞くのが多かった。

 聞く話聞く話が、映画か小説かドラマかな?いいえ現実ですリアルです、みたいな話ばかりで、怖っわ、やっべ、マジっすか、すっげえな、ぐらいの語彙力で返答するしかできない感じのマジもんの濃厚なストーリーばかりでかなりの衝撃を受けた。

 逆に統合失調症の人の見えている世界の話も結構聞かせてもらえて、リアルな世界っていうのには限界があるんだなとも感じた。ロジカルもへったくれもない人の想像力の外側の世界もあるんだとわかった。

 みんな共通して日常生活を送るのがかなり難しい状況になってここにいるんだなと思った。均衡を崩してほっといたらいけない状態の人がここに集まっていて、自分もそうなのだなと再認識することができた。

 それと同時に結構人生めっちゃくちゃになってもこの国に生まれたらなんとかなるんだなとわかった。福祉も社会システムも日本すげえよ。日本はオワコンという言葉を聞くことがあるがとんでもない。ほぼ完成系に近い形してるんじゃない?とも思う。そりゃアラを探せばキリはないし、国という大きい単位なので隅から隅までとはいかないだろうが、正しい形で正しくシステムが動いている限り、生まれたら死ぬまでギリギリなんとか皆が生きていけるようにできている。

 それでいいのかは話は別だが、それを身体で理解できたのはかなり大きいと思っている。強迫観念的に仕事をしないと死ぬ、干されたら詰む、と氷河期の時代に叩き込まれてきた社畜精神が氷が溶けるように少しずつ消えていった。
まあ、これもあとから当時を振り返っての気づきみたいなものだ。

「働きすぎの人間は哀れ」
無理してもしゃあない



 もうひとつ、面白いことに入院して毎日の生活が平穏に送れて、初めて周りをゆっくり見回すことができて、新しい環境の中で新しい生活を組み立てながら、実感として「ああ移住してきたんだな」と思ったのだ。移住とは生活環境をごっそり他の環境に移すことなんだなあと理解できたというか腑に落ちたというか。しっくりきたのだ。

精神病院の監視カメラの前でそんな実感もつのは自分くらいじゃないだろうか。だから私は決して移住を人に勧めることはしないことにしている。
同じような流れにはならないだろうけど、もしなってしまったら悲しすぎるじゃない?

 さて、なんかまとめたみたいになってしまったが現実はまだ全然病気真っ最中。ここから数年かかって不調を少しづつ削っていくことになる。
まだまだ続きますよ。

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