【北極冒険】Day18:2019.04.24
18日目です。この日は補給点ケープフーパーに到着する日です。
長めになりますが、僕の悩みが少し変化するきっかけになった日でした。
18日目。補給点まであと少しの距離からスタート。若干の風はあったものの、良いペースで進めたと思う。自分たちで地図を読み、無事ケープフーパーについた。
(ケープフーパーが)思った10倍くらい小さくて驚いたが、14:00ごろに着けたので良かった。予定では7日、もしくは8日でくる距離を6.5日で達成できた。みんな本当、よく頑張った。
食糧計画を伝え、装備を整え、ゴールまでのルートを確認。ついに旅も終盤。この楽しい日々があと少しで終わってしまう。1日1日楽しもう。
今日も早く寝て、明日に備えよう。みんなよく喋ってるなぁ。早く寝ろよ〜。
MEMO
・ホームベイ:北/北西からの風が強い。
・3.5日でホームベイ(88km)を抜けたい※通常4~5日
・風が弱い日はいつもの行動時間+1時間延長もあり得る。
この日は目的地がケープフーパー、補給点だった。
みんなで地図を確認しながら進みます。この日は結構いろんな人が地図を見にきてくれた。歩きながら、次先頭を歩く人が、「せごどん、次どこ目指せばいいですか?」って聞いてくるので、みんなで確かめながら次の目標を確認する。
この日は結構飛ばして歩いた。なんせ早めについて、装備点検したり、食糧受け取ってその確認もしたかったし、何より落ち着く時間が欲しかった。
ケープフーパーが近づいてきて、地図上だともう見えてもおかしくないのに、あれ?全然見えないぞ?道間違えたか!?
そんな不安に駆られつつ、他の隊員からも「せごどん、どれですか?」って聞かれて不安は最高潮。やばいやばい、こっから戻るのはやばい。って思ってましたが、目の前に、補給のために来てくれたおっちゃんのモービルの跡があって、道は間違い無いと確信。
先頭の人がふと、「あれ、、、、ですかね?」
・・・え?いやいや、そんなわけない。昔軍が使ってた基地らしいからもっとでかいよ。多分入り口とか受付け的なとこなんじゃない?
いや、ここほんまにここなんかい!!笑
ちっちゃ!!笑
さっきの補給のおっちゃんたちが中でティータイムしてた、呑気やなぁ。
けど無事に着けて一安心。
奥のおっちゃんが物資運んできてくれた人。
みんな狭いスペースにぎゅうぎゅう。笑
全員、”いい顔”してるなぁ。真っ黒や。
物資受け取って、全員分に配分して、装備も念入りに点検
この時、みんなから大人気だったのが、
めちゃめちゃ装備をぶっ壊しては針金でなんでも直す、
破壊と修復の神”飯島大先生”の修復術。
日本帰ってから、この話をすると、結構いろんな人、特にアウトドアにハマっているような人から
「なんでもっといい装備買わなかったんですか?北極でしょ?」
って言われました。確かにそうなんですよ、もっといい装備はお金積めばあったでしょう。最新装備の方がもっと快適な旅だったかもしれない。そのことは否定しない、間違ってはないと思う。けど、旅終わって、僕がその度に伝えているのが、
”どんな装備でも、壊れるよ。あの環境なら。「壊れない」より大事なことがある。それは、壊れてもすぐ直ること、すぐに直せる技術を持ち合わせること。装備に過信して、その技術・そのメンタルを持ち合わせて無かったら?修復道具が不十分だったら?きっと不安になる。壊れなかったとしても、その可能性が拭えなくて不安になると思う。その不安な気持ちが判断を間違えさせるし、いい精神状態を保ってられない。”
ってことです。本当に、そう思います。僕は今回の冒険で学びましたが、何も冒険やアウトドアの時だけに限ったことじゃないと思います。
(※このマインドは実際に仕事に役立ちました。)
なぜ飯島くんがみんなから大先生と呼ばれていたかは覚えていませんが、本当に彼は先生でした。みんなに先駆けて装備を壊し、そして修復して、みんなについてきてる。彼が破壊王であることは周知の事実だったので、ある意味、そんな彼が修復王になったことで隊に与えた安心感というものは凄かったんじゃないかと思います。そして、彼の存在は、後半戦、本当に輝きます。少なくとも僕はホームベイ以降、彼の存在に何度も助けられました。少しだけ、詳しく話します。
後半の後半になってくると、正直ナビゲーションに必死で、隊全体のことに頭が回らなくなります。後ろの様子とか見にいきたいし、怪我してる人の体調も把握しておきたい。だけど、後半の日記(特に4月28日以降)を読んで貰えばわかりますが、もうまじで余裕なかったんです。自分も体ボロボロだし、体力もそこまで残ってるわけじゃなくて、コオロギ食って(タンパク質摂取して)、早寝早起きしてやっと毎日体が持つくらい。そんな時、常に後方にいた飯島くんが、休憩のたびに前に来てくれるようになります。彼は装備に不安があったので、常に後ろの方を歩いてました。(その方がスキーへのダメージが少ないから。)体力的には彼は最強なので、前に来ては、後ろの女の子たちの様子や、よっちの足の状況などを伝えてくれました。まじでありがたかった。この後の日記では僕の暴言だらけなので、先にここで書かせてもらいました(笑)
そして、この日の落ち着いたタイミングで、小屋の中で荻田さんとこれからのミーティングをしました。日記のメモにもありますが、このあとが、隊にとっての重要な局面。最大難所を迎えます。そう、明日からいよいよホームベイに挑みます。
簡単にいうと、こんな感じなんです。通常、進行方向に対して逆風が吹く場所で強い風を予想。大陸方面からの風ですが、強風地帯なので、地面はカッチカチに固まっていると想定されました。地形見ても、風めちゃめちゃ強そうですよね。すんごいいっぱい風の通り道ある。
約90kmほどあったのですが、ここをなんとか3.5日で抜けたいとのこと。つまり1日25km以上はほぼマスト。しかも強い逆風が吹いている状態で。ただ、ホームベイで停滞してしまうと、抜けれなくなってしまう。今後の旅の継続に関わるとのことだったので、聞いたときは身が引き締まる思いでした。やばい、ここで失敗できない。本当に、みんなの命に関わることなんだと実感した瞬間でした。このとき、初めてナビゲーターの責任に気付き始めます。
ミーティングの後、これはみんなを集めていうもんじゃないな、と直感しました。多分笑って言えないことも、ある。だから1人1人に話がしたかった。そして、テントを1つ1つ回って、状況を説明。ここからの4日間程度が一番キツくなるということ。体調が悪いなら、本当に悪くなる前に、ソリごとでもいいから荷物を預けて着いてきて欲しいということ。しんどい時はしんどいと伝えて欲しいということ。自分に余裕があるなら今まで以上にみんなを積極的に助けて欲しいということ。特に先頭部隊は、一緒に頑張って欲しいということを、伝えました。
この日、日記の最後に「早く寝ろよぉ」と書いてますが、この時自分の頭の中は
安全第一、みんなの体力も体調も考慮しなくちゃ行けない。
だけど、止まったら止まったで命が危ない。
このバランス、どうしたらいい。
っていう不安がありました。だから、早く寝て欲しかった、とにかくできることを最大限やって欲しかった。
・・・いや、言えよ、俺!
直接みんなに言えないのが弱さでしたね。
そして、次のXデー4日前。
そう、Xデーは、ホームベイを抜けた後にやってきます。
⬇️ 4月24日撮影の写真 ⬇️
みんなで地図読み。俺だけ黒い服きてるからスイミー見たい。
みんなであれこれいうのは少し楽しかった。
縞が近づいてきて、警戒する荻田さん。こういう岬のところは熊が出やすいらしい。
たまたま小屋に残されてた読めもしない新聞片手にタバコを吸うすわっち。仕事終わりのおっさん確定。笑
終わり
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