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【北極冒険】Day29:2019.05.05

29日目、記事で言うと32本目。いよいよこの日が来ました。
最終回はかなり長くなってしまいそうです。
でも、最後まで書き切りたいと思います。

歩き出して29日目、いつものように朝準備し、10分前(02:50)には全員歩き出せる準備ができていた。

「今日BBQしよ〜」「着いたら・・・」

という楽しげな会話で持ちきりだったので、朝一のミーティングで

「楽しみなのはわかるが、まだ着いていない。本当に楽しく終われるのは今日1日、残り23.5kmを全員無事に歩き終えたあと。着いて楽しく終わりたいからこそ、今日を今までで一番集中して頑張らなくちゃいけない。さぁ、今日も1日頑張ろう。」

と話した。今日、今までで自分も一番集中するつもりで、昨日寝た。

スタートから5kmは楽勝。目標となる”アイルガアイランド”が見えていた。問題はそのあとだった。明朝5:00前、目標物もなく、島も見えない。
予想通り隊が混乱しかける。
ただ、昨日地図と山の形は頭に叩き込んでおいたので、目標となる島の左端の入り口はだいたい想像がついた。
それでも不安だったので、コンパスで北からの角度、後ろの島と隊の列の位置関係、たまに見える太陽の方向、ギリギリ見えている島からの位置関係、風向きなどから目標点を想像し、全体のスピードも意識しながら最大限集中してナビゲーションを続けた。常に2番目を歩き、先頭に方向、スピードを伝え続けた。湾に入り、だいぶ視界もよくなってきてからは、”クライドリバーに早くつきたい”という気持ちで速くなりがちな先頭のスピードを抑えつつ、いつも通りを維持。街が見えてからも着くまで一切気を抜かないと決め、最後まで歩いた。

ラスト10m、目の前にはもう町がある。
横並びになり、全員で、ゴールした。
直線距離607〜620km。実際に歩いた距離は700km近いと思う。
到着してゴールを迎えてすぐ、今日のキャンプ地を探す。
まだ、終わってない、気がしていた。
実感が湧かない。本当にゴールなの?という気持ち。日記を書いている今でも、いまだに信じられない。補給点にきた気分だ。スーパーに行き、ペプシを飲み、肉を焼いて食べた。楽しいが、なぜだか気が抜けない。まるで明日に向けて体が調整しているようだった。その時点でもう日常じゃ無いのに。

下記、最後の通信メッセージのためのメモ

今日一日、隊はいい雰囲気だったと思う。
楽しみながらも、集中していた。
当初クライドリバーにつけるかどうかすら危うかったが、
なんとか天候にも恵まれ、無事にゴールすることができた。
今回の旅を一言で表すと、
「想定外」だ。
景色の綺麗さ、歩く楽しさやキツさ、ナビゲーションの難しさ、足の痛み、自分たちの長所、短所、楽しさや苦しさに、「思ったより」という言葉が当てはまる。
その時点で、自分の想像力が「思ったより」なかったことになる。

今回の冒険は、とても記憶に残ると思う。
楽しい日々だけじゃ、なかったから。
たくさん写真も撮ったし、映像も撮った。
それらはいつみてもニヤッとするものだと思う。
たけど、そんなことしなくても、
いつまでも、このメンバーが集まるたびに笑える、記憶に残る、素晴らしい時間だったと思う。

今日、無事に”歩き”終えた。
ここからはしっかり準備して、出発の時とは、色んな意味で、随分と変わった顔つきを見せられるよう、気を抜かずに楽しんで帰りたいと思う。

以上

2019年5月5日 クライドリバーにて リーダー/ナビゲーター 西郷


追記

後日、クライドリバーからの帰りの機内、離陸直後に下を見た。
自分たちの歩いた跡が、ひたすらまっすぐ、一直線に島に向かっていた。
その景色は、いまだに忘れられない。

さて、最終日の日記については、色々と振り返っていきたいと思います。
長いと思いますが、最後なのお許しください。

・あたりまえを、あたりまえに

準備も4月25日の19日目は5分遅れていた。もう、そんなレベルだっけど、本番は10分前行動、”当たり前”ができるようになっていた。

最終日の前半は結構ナビゲーションが難しかった。だけど、これまで教えてもらった知識を最大限活かし、情報を総合的に判断して、進路を決めることができていた。結果は日記にも書いたが、まっすぐな一本道を作ることができた。この日は本当に最初から最後まで集中が途切れなくて、自分でも驚いた。

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>最高に集中していた、最終日のナビゲーション、目の前真っ白。

ただ、本来これが「あたりまえ」で、スタート地点から求められた内容だったと思う。(そんな簡単にできることじゃなかったと思うけど・・・。) まぁただ、最後の最後に「自分たちもやればできるんだ」ってのをちゃんと示せたのはよかった。
・・・当たり前の内容なんですけどね!(恥ずかしい笑)


・4/22と5/5の違い

4/22、地図をもらって喜んでいた。たぶん何か、できる気になっていた。任された高揚感があった。
5/5、地図を持って緊張していた。前日は明日の進路と地図をひたすら見比べてイメージしていた。明日みんなを無事にゴールに導く怖さを感じてた。

14日間。やっと地図を少し使えるようになった。
14日間。自分の弱さや甘さを痛感して、天狗の鼻っ柱はバキバキに折れていた。
もう本当に、自分の成長スピードの遅さには呆れるが、実際にやったからこそ、日記にも感情が出たし、自分のことをよく知れた。
 

・僕を支えてくれた3人のメンバー

12人のメンバーと荻田さんと柏倉さん。皆さんに助けられました。
テントは、あつしが相棒で良かったです。
テントの中で彼と毎日議論できたのはめちゃめちゃいい経験です。
特にあつしが僕らのテントのリズムを作ってくれた。

そして、たくさんいるメンバー中でも特に、
すわっち、おぐらくん、りょうくんには本当に助けられた。
僕が悩んでる時、しんどい時、調子に乗ってる時、いろんなタイミングで声かけてくれた。4人でタバコを吸う瞬間が、どうしようもなく好きでした。タバコがなくて4人で1本のタバコを回し吸いしたのは最高の記憶です。笑

あと、最終日のおぐらくん、最後方からのスティックでの進行速度調節信号。あれ、まじで最高にわかりやすかったな。なんで最終日にあのシステムになったんやろ・・・もっと早くに気づけばよかった。
たまに後ろの様子を報告にもきてくれたのは本当に助かった。
最終日、僕が前線のコントロールに集中できたのはあのシステムのおかげやと思う。
 
リーダーとして、ナビゲーターとして最後までやり切れたのは、この3人の存在は自分にとってものすごく大きかった。
たくさん悩んで、ずっと苦しかったけど、最後までやり切らせてもらえた、本当にありがとう。

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・誰かに怒ってもらえる環境

自分たちの旅を、写真や動画、取材を通して計3本のTV番組にしてくれたディレクターさんがいます。そんなディレクターさんに、さいごうの日記が見たいと言われ、貸したら見事に番組内で使用されました笑
そして、下記手紙と一緒に帰ってきました。笑
番組の中で、僕の日記を全世界に発信したんだから、これくらい、許してくれますよね。笑
(あれ、本当に後処理大変だったんですからね。)

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西郷くん
 
 このたびは、本当にお世話になりました。おかげさまで、楽しく仕事をすることができました。
 番組、いかがだったでしょうか?今回の映像や、みんなの話しから、一番強く感じたのは、チームになったんだな、ということでした。編集をしながら改めて思い出したのは、恵庭合宿の時荻田さんが、成否の鍵を握るのはチームワークだとおっしゃっていたことでした。本当にその通りになったんだと思います。いやぁ、一緒にあるきたかったなぁ。
 今回は、能力についての話がちょいちょい出ていたけれど、私が思うに、西郷くんの能力で優れていると思うのは、学ぶべき相手を見つける力です。荻田さんしかり、溝内さんしかり、この人に学ぼうという人を見つけ出し、素直にそれに従うということにかけてはとても優れていると思います。
 人はみんなそうですが、これから歳を重ねていくと、だんだん自分を叱ってくれる人が少なくなってきます。その孤独は、社会的な地位が高くなればなるほど、加速していくことでしょう。そんな時、厳しくも暖かかい目で見守ってくれる人の存在が、大きな財産になります。これからも、そうした方々の言葉を大切に、自分を磨いて行ってください。楽しみにしています。

自分を客観視できる機会はないので、とてもいいお言葉をいただけました。
また、自分でもそんな長所があったのかと、認識することができました。
確かに、何人か僕には尊敬してやまない人物がいます。そしておっしゃるように素直に真似してます。
今も、すばらしいメンバーに囲まれて仕事しています。
まぁ、待っててくださいよ、いつか「学ばれる」人間になりますから。
(・・・言っちゃった。笑)


・何度も引用してきた”エンデュアランス号漂流記”

この本は本当に参考になりました。
めちゃめちゃ共感できるところもあって、帰ってきてからもう10回以上読んでるかな。色々引用しているので、過去の日記ももう一度見ていただければと思います。その中でも、まだ引用していなくて、参考になるなと思っている1節を紹介します。

 ”誰もがその日記の中でワイルドをたたえている。エレファント島に漂着した冬営隊員が生存できたのは、彼の力によるところ甚大であったと私は信じている。彼がそばにいれば、しずみがちな心もいつしか消え、元気が湧いてくる。悪魔にみいられたように塞ぎこみ頑なになった心も晴れてくるのだ。「命令」することだけに満足せず、彼は他の者と同じように「活動」し、またしばしばそれ以上によく働いた。彼は驚くべき指導力を発揮して、彼に寄せた私の絶対的な信頼によく応えてくれた”

俺はワイルドみたいにあれただろうか。いや、まだまだ全然だったな。
これは柏倉さんのような人のことを言うんじゃないかと思う。カメラマンとして同行いただきましたが、本当に隊のみんなを陰から支えていただきました。僕がリーダーとしての立ち振る舞いについて悩んでいる時、そのあるべき姿を行動で示してくれて、本当に参考になりました。

いつも明るく、時には少し厳しく、ちょっとおっちょこちょいで、熱血体育会系な柏倉さん、改めて、ありがとうございました。


・大塚倉庫への感謝、太郎会長への感謝

感謝する対象として忘れちゃいけないのが、僕の挑戦を快く後押ししてくださった会社の存在です。他のメンバーが会社を辞めたり、冒険を諦めたりしている中で、2ヶ月という休みを作ってくださって、さらに壮行会なども開催してくれた大塚倉庫の皆さんには感謝しかありません。
大学4年の時、大手製薬会社の研究職か大塚倉庫で悩んでいた時に、「なんか、感覚やけど、大塚倉庫の方が人生面白い気がする!!!」と言って教授には呆れられましたが、やっぱ正解だったと思います、てか正解でした。
 
また、こんな機会に巡り合わせてくれた太郎会長にも感謝しています。荻田さんに出会えてなかったらこの日記も学びも経験も存在してませんでした。 多分太郎さんがマンモス掘りに行ったり、南極に行ったりしてきてくれたおかげで、あの時僕は手をあげることができたんだと思います。「チャレンジしてみたい!!」って躊躇わずに思うことができました。
 
僕は今、更なる飛躍のために、新たなフィールドで挑戦を続けていますが、大塚倉庫という会社と社員の皆様のことは今でも大好きです。いつか、みんなに自慢してもらえるくらいの成果をあげたら、胸張って晴海オフィスを訪問したいと思います。笑


・”変わったこと”は何か。

日記を読んでいただいてなんとなく感じたと思いますが、
直面する課題、悩む内容、失敗の原因・・・。
その本質は普段の生活で感じるものや直面するそれとなんらかわりませんでした。

「トレイルは自由ではなく、うまく選択肢が減らされている」  
                          トレイルズ

当時あの場では、自分と向き合う以外にない状況だったんです。
なのでその本質が、常に目の前にあった。普段は人間関係や環境要因にうまく隠れてしまって、気づけないことも多いかもしれません。
だけど、そんな「言い訳」がなくなると、「自分の甘さ、弱さ、実力」がもろに出てしまう。
特に僕の場合は、色んなチャンスをいただけたので、その分今まで見ようとしていなかった自分の弱さがどんどん出てきた。今までは目を瞑ってきたけど、目を向けるしかなかった。

帰ってきてから、「なにか変わった?」とよく聞かれました。
「変わったか?」と聞かれると、「変わってはない、気づきはした」と言うしかないです。結局人間的には何も変わっていなくて、すこし髭が伸びたくらいだと思う。

・旅の終わり

僕たちの旅が終わったのを最初に実感・理解した瞬間を今でも覚えてます。
それは、5/7の朝、クライドリバーを発つ日。
最後のキャンプ地から飛行場へのバスに乗りにいく時。
パッキングを早々に終わらせていた僕は、みんなより先にバスの集合場所に向かって、歩き出した。

「さいごうくん、今日のナビゲーションは?」と、笑顔の柏倉さん。
「今日っすか、今日はあの電柱とあの電柱の間くらいを目掛けていきます!」と、少し冗談混じりに返した。
「どの電柱だよ!?具体的に言わなきゃ分からないだろ!!へへw」
と、笑いながら荻田さんが言った。
その時、
「あぁ、終わったんだな。」と理解した。
そんなナビゲーション、荻田さんが許すわけない。
そして、改めて理解したのは、あんだけ厳しく僕たちに接してくれていたのは、本当に危険な場所だったからだ。
僕と、りょうくんは「教育的指導(笑)」を直々に受けた二人だけど、「暴力」だ思ったことは一度もない。
本当に、真剣に接してくれているんだと言うのが、当時現場でもなんとなくわかっていた。ただ、それを帰り際に実感したことで、ものすごく「感謝」したと共に、寂しくなった。
そして、自分の中では、それがある意味「終わった」瞬間だった。


・荻田さんへ

まずは、貴重な経験をさせていただいて、本当にありがとうございました。
あの時、手渡したA4用紙がこんなことになるとは、想像つきませんでした。
だけど、あの瞬間から自分自身の進む先が、少しずつ変わっていきました。
そして、厳しくも暖かいご指導、本当にありがとうございました。
最後に飛行機から見えたクリドリバーに続く、まっすっぐな一本道。
僕が荻田さんから教えていただいたことを、結果として表現できた唯一の成果だと思います。

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今回の感想をあらためて聞かれると、少し困っちゃいますが、
日本に帰ってきた時、栗原さんとこんな会話をしてました。
「実際、どうだった?」
「正直、全然楽しくなかったです。2度とやりたくないですね。」
「それが正解だと思うよ。」
当時は、それくらいしんどかったです。笑

なんか、あんまり長々と語るもんでもないですね。笑
また、冒険研究所に遊びに行くので、その時ゆっくりこの記事をもとに話させてください。

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・謝辞

最高の舞台を準備し、連れていってくださった、荻田さん。
それを日本からサポートしてくれた、栗原さん。
現地でみんなを後ろから支えてくれた、柏倉さん。
頼りないリーダーを支え、助けてくれた、12人のメンバーのみんな。
現地にはいけなかったけど日本でサポートしてくれたメンバー。
僕を快く送り出してくれた、大塚倉庫と当時のクライアントの皆さん。
いつも突飛なチャレンジを笑って応援してくれる家族と友人。
僕たちの冒険を支えてくれたスポンサーの皆様。
そして、ここまでブログど素人の僕の日記を読んでくださった、皆様。


改めて、本当に、ありがとうございました!!!!!
 

それではこれで終わりたいと思います。
ありがとうございました!!!!!


2020年5月5日 徳島県鳴門市にて 西郷琢也


⬇️ あげればキリがない写真たち ⬇️

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北海道に住むちんちくりんさん、何とか約束守れたで。笑



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