海よりも深いムスコの愛とそれでも自分の氣持ちを優先した母の話。
ちがっても輪になる世界はここにある
サイゴンの輪オーナーのKayoです♪
みんなツイてる??
私もめっちゃツイてる!!
ホーチミン日本人学校に在籍していたとき、
ムスコは小学校1年生でした。
6月ごろからもう学校に行きたがらなくなり、
当時の私は預け先がなくなるというただそれだけの理由で、
行きたがらないムスコを無理やり学校に行かせていました。
そしてあるとき、ムスコの顔に、いくつものかさぶたがあることを発見します。
「これどうしたん?」と尋ねると、
「掻いた」
とだけ伝えてきたムスコ。
それがあまりに毎日あるので、
私は担任に電話して事情を聴きました。
「今日も顔を掻いて血が出たので保健室に行きました」
!!!!
「オマエ! こっちが連絡する前に連絡帳に書くか電話してこいよ!!!!」
とめっちゃ腹がたったけど、
私はそのとき、
ムスコが学校での居場所がなくて、苦しくて、
やり場がなくて、自傷行為に及んでいたのだと氣づいたのです。
私は泣きながらムスコを抱きしめました。
「ごめんね、ごめんね」と。
そしたら当時7歳だったムスコは、こう言ったのです。
「お母さん、ありがとう」
私はこのとき、海よりも深いムスコの懐に胸を打たれました。
無理強いして学校に行かせてた私を責めるでもなく、ただ自分の苦しみを理解した母に対して、
「わかってくれてありがとう」
という想いだったのでしょう。
この子は私には超えられない。
あの時、痛烈に自分のふがいなさと、
ムスコの大きさに触れたのです。
それから、帰国を決断するまでの数か月、
ムスコはお手伝いさんの家にいたり、卒園した幼稚園のアフタースクールにお世話になったり、アメリカンの発達支援スクールに遊びに行ったりして、生活を模索していました。
「どう考えたって帰ったほうがムスコのためだよ」
沢山のひとにそう声をかけられました。
そんなこたぁわかっとる。私もバカじゃないんだから。
でも、自分が納得しないままに帰国したら、
私はずっとしこりを抱えたまま、それをムスコのせいにしながら、ホーチミンに未練たらたら日本で生活していくことになる。
どんなに苦しくても、私は自分が納得するまで帰ると決めない。
ということを決めました。
貧血はひどくなり、病気にもなり、毎日の出勤も必死だったうえに、転職活動やムスコの編入先の模索、
ありとあらゆる手段をさぐったあの最後の数か月は、苦しかったけど、
自分の決断に従って本当によかったなと思う。
その間、ムスコはただ母のワガママに付き合っただけだったけど、
それでも私は私の決意を尊重しました。
だって、それで絶対に後悔せずに帰国後も生きていけるって確信があったから。
帰国を決めたあのときの腹のすわりようは、
頼もしい以外の何物でもなく、
そして当たりまえのようにありとあらゆる体調不良は姿を消しました。
そして本帰国して3年後、
私は地元でベトナムカフェ『サイゴンの輪』をオープンするのです。
これ映画化できるんじゃね?笑
ぜひそんなオーナーKayoのいるサイゴンの輪に来てみてね。
あなたの決断に、誰よりも無条件で背中を押すことをお約束します!
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【著者 kayo *自己紹介】
1985年11月1日生まれ。
ADHDとASDを診断されている11歳のムスコが相方のシングルマザー。
結婚や離婚、人生の紆余曲折で仕事を変わるが、いつもだいたい営業職。(下着販売、複合機、生命保険、広告代理店、不動産)
2016年に当時6歳だったムスコを連れて、
行ったこともない、友達もいないベトナムに渡る。
現在は地元である兵庫県西宮市北部にて「みんな違ってみんないい」をキャッチコピーとしたベトナムカフェをオープン。
マイノリティや、多様性を認めあえる空間をSNSを通して発信している。
Instagram:saigon_no_wa
Facebook: @Saigonnnowa
LINE Official:https://lin.ee/eFHKd6Y
YouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/channel/UC7KS5wT_wetiNH6g6siuMCQ