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母親のような母親になりたくないという強迫観念の子育て
Xin chao!
みんなツイてる??
私もツイてる!!
前にも書いたけど、私はマザコンでした(注:過去形)
お母さんが大好き!というマザコンではない。
母という大きな壁(コンプレックス)を抱えていたのだ。
お母さんに認められたい。お母さんに見てほしい。お母さん、愛してよ。
なんで愛さないのに産んだのよ。
書き連ねると際限がない。そして、この想いが昇華するのに5年かかっている。その後渡越するのですが。
それまでの私は、号泣しながら育児書を読み漁り、「母のような母親にならない」ために、強迫観念にかられながら母一人子一人でムスコと生きていた。
「大好きだよ」って言わなければならない。(でないと私のような子になってしまう)
「すごいね」ってほめなければならない。(でないと私のようになってしまう)
「生まれてきてくれてありがとう」って寝る前に必ず言う(でないと私のように望まれずに生まれてきたと思ってしまう)
・・・。
でも結局、そうやって疑似的にムスコを愛しているフリをして、私は私を傷つけないように必死に生きていただけだった。
そう、私が(25過ぎてから)母に放った数々の
「あんた母親落第点!!!」
という成績表を、20年後のムスコにつきつけられるのが怖かったのだ。
めっちゃ怖かった。
ムスコが愛情の欠落した子になることよりも、そのムスコを通して私が私の望まなかった母親になることが、とても怖かったのだ。
とどのつまり、
母を恨むことで、今の自分を全部否定していた。
それは、「私は私を認めない」と声を高らかに叫んでいるのと同じ。
この昇華の過程を書き始めると本2冊分くらいかかるので割愛しますが、
とにかく、私は私を赦した。生きてていいって赦したし、お母さんには愛されていることにようやっと氣がついたの。
そしてこんな生き様を選んだのも、母のせいにしていた自分の選択だったことを認めた。
白旗をあげた。闘うのをやめた、かな。
そしたらADHDで大きくも小さくも毎日のようにケガをしていたムスコはケガをしなくなった。
私が私を傷つけることをやめた瞬間、ムスコが傷つかなくなったなんて、
この子は本当に一体何者なんだ!?
きっと、ムスコのフリをした救世主に違いないw
そして今、ムスコは10才になり、「うるせえばばあ!」と言ってくるけど、「正しい母親」の強迫観念から逃れた私は平氣で「黙れクソガキ!」と返している。←極端!w
それでも、私とムスコの激動かつ自己受容の満たされた5年間は、私とムスコの愛情の土台を確固たるものにした。
と言いたいところだけど、彼がどんな劣等感を持ち、それとどう対峙していくのかは、あと10年くらい経たないと見えてこないし、
それは私の母親としての問題ではなく、ムスコ自身が昇華することなのだと思う。私がそうであったように。
そしてそれを生きる糧にしていける強さとしなやかさをムスコがもっていることを、私は信じている。無条件で。
これを私の世界では愛と呼ぶ。
コーヒー豆の販売やってます☕️ぜひお試しください♫
【著者 kayo *自己紹介】
1985年11月1日生まれ。
ADHDとASDを診断されている10歳のムスコが相方のシングルマザー。
結婚や離婚、人生の紆余曲折で仕事を変わるが、いつもだいたい営業職。(下着販売、複合機、生命保険、広告代理店、不動産)
2016年に当時6歳だったムスコを連れて、
行ったこともない、友達もいないベトナムに渡る。
現在は地元である兵庫県西宮市北部にて「みんな違ってみんないい」をキャッチコピーとしたベトナムカフェを開業すべく、マイノリティや、多様性を認めあえる空間をSNSを通して発信している。
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