安方にあった青森停車場〜青森駅の話
東北線の開通によって青森停車場が安方に設置され
初めて上野を出発した列車が青森に到着した
その日青森は興奮に包まれたそうです。
時は明治24年、西暦にすると1891年のことです。
26時間かけて東京から青森にやってきた1番列車
何と夢のような奇跡
人々は歓喜で沸き返ったそうです。
鎖国を続けた日本にペリーがやってきたのが
嘉永6年、つまり1854年ですから
何と30年ほど
黒船の到来より
わずか30年ほどで
日本は東京〜青森間に列車を走らせるまでになったのです。
青森停車場ですが前述したように
安方に停車場がありました。
耳慣れないですが、昔は駅を人々は停車場と呼んでいたのです。
英国から蒸気機関車が輸入され
品川に初めて駅が出来その場所は
station(スレーション)とされていたのですが
直訳すると停車場と呼ばれることとなって
その言葉が音節数が多いということで
煩わしさから
昔から馬を利用してた人達の中継の宿を指す
「駅」と変わって一般的になるのが
昭和に入ってからのことなので
まだ出来た当時は
「青森停車場」「浦町停車場」「浪打停車場」と言われて
表示板もそのようになっていたんだそうです。
今でこそ電気が通ってるのは当たり前ですが
電気が珍しいとされた、その当時において
青森停車場は電気が赫赫(かくかく)と灯り美しく、さながら西洋のお城のようだったと伝えられます。
ちなみに、青森に電気が通るのが明治30年
最初は役所や警察、病院や学校等の公共機関に限定されていたといいます。
一般の民家に電燈が灯ったのは、それからだいぶ遅れ、
それも電燈一つに月いくらと電気税もかかっていたそうで、
新町通りの商店では、お店で電球をつけても
奥にある住宅部分ではランプをつけていたといいます。
そんな青森停車場はその輝くような場所
その停止場を一眼見ようと多くの市民が訪れたようです。
停車場の構内では、古くなった枕木で柵を作り、針金で遮蔽され、安全を考慮して中に入れないようにされていたそうで
そんな柵によじ登ったり、馬乗りにまたがったりして、列車が入ってくるの今か今かと子供達は待っていたのだそうです。
そんな安方にあった青森停車場も
1906年、明治39年9月、10年ちょっとで駅舎改築により、新町通り側に移動します。
「青森駅の話」
新町を向いた形で建てられた青森駅ですが
そのご青函連絡船の開通に伴い
本州の玄関口として
大変利用者も多かったそうで
昭和の初期には
営業成績は全国でもトップクラス
売店の売り上げをみても東北にあるどの駅よりもおおく
一位の座を誇っていたと記録にあります。
もちろん旅客・貨物収入も上位
そんな時代を経て
青森も青森駅とともに発展してきました。
新幹線が発着する
新青森駅が出来たことや、周辺のさまざまな環境の変化に伴い
駅周辺は寂しくなっていきましたが
近年、青森駅東口駅舎跡地に地上10階建ての新駅ビルが建設中です。
1階~3階までが商業スペース、4階一部と6階~10階までがホテル
すでに駅横には駅ビル【ラビナ】がありますが、連絡通路で繋がるそうで青森駅舎も2021年に新しい駅に生まれ変わりましたが
さらに新駅ビルが完成すれば、青森駅周辺の雰囲気もガラッと変わるかもしれません。
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記事編集/鈴木勇(サイゴン、わやわや店主)
記事参考
新町秘ストリー長谷敬生
JR東日本ホームページ
青森市の歴史散歩(よしのや本間書店)
新青森市史(中世)
写真は『広報あおもり』1998年3月1日号に掲載 から
付記
JRの売店が最初にできたのは国鉄時代の1932年(昭和7年)4月上野駅・東京駅構内の10店舗が誕生したそうです。
当時の名前は「鉄道弘済会売店」という名称でしたが
1973年(昭和48年)に、鉄道弘済会が創立40周年を迎えたことを記念して、「Kiosk(キヨスク)」という愛称に変わってます。
「KIOSK」は簡易構造物一般を指す英語だが、その語源はトルコ語の「あずまや」という意味。
「清く」や「気安く」という意味も込められてるそうです。
この「KIOSK」という言葉は「駅の小さな売店」として国際的に使われていて、鉄道が発展している国なら世界共通語に近い言葉らしいです。
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