消えた青森市の薔薇のデパート松木屋
「消えたデパート・松木屋」
松木屋デパート覚えてますか
かつて青森で
最も古いデパートが松木屋でした。
大正10年創業
最初は新町の北側にあり松木屋呉服店として開業しました。
資本金は100万円(今の価値だと約53億)で当時としては巨額のお金で建てられました。
場所は新町と柳町の交差点辺り
今の高森銘茶堂から西側に建設
木造3階建で約380坪と言います。
青森市のランドマークとして長く親しまれましたが
戦前の
空襲対策の道路拡張のための建物疎開により
閉店に追い込まれ
なくなってしまったそうです。
戦争が終わり
それを戦後昭和25年
新町南側に
県内の財界有力者、田沼敬造、奥村工務店、奥村吉衛などが集まり復興を計画
初代社長に就任したのが
油川の西田酒造の当主、西田一三郎でした。
(ちなみに西田家の当主は油川の町長や県議も務めています)
西田社長の命によって
県下財界有力者の出資を集め、昭和25年12月1日に待望の復興を果たします。
復興された松木屋の建物は、鉄筋コンクリートの3階建てで1階が化粧品や食料品、
2階が呉服屋用品、帽子、メガネ、靴などで、3階が玩具、瀬戸物、ラジオなどの家電製品の他、食堂があったそうです。
実は松木屋が復興した頃、「富士屋」「菊屋」「丸和」などの百貨店もあったのですが、これらは景気と経営問題で間も無くみな閉店します
それにともない松木屋は、設備投資を続け、顧客確保の為、その後増改築を続けます。
その結果、4階建になり、エレベーター2基を備え屋上に展望台も備えて青森市内の景色楽しめるようにするなど流行の先端を担う存在になりました。
松木家は昭和33年10月11日、集客施設として、現座の大和証券、青森支店の場所にバスセンターを設置しました。
センターは青森市から各方面へ向か弘南バスや下北交通バスが、発着するバスターミナルとして、数多くの人々が集まりました。
同年バスセンターの2階には
松木屋近くの人気店の割烹芝楽の店主である津島勲と、松木屋の食堂を経営していた石井正一が“センター味覚”という名のレストランを開店させます。
松木屋への買い物客を目当てに営業を始めたのです。
その後センター味覚は売却。
経営者が変わってレストラン精養軒となります。
精養軒は大衆的なレストランとして各集会もや結婚披露宴などに利用されました。
昭和36年には当時1杯30円の値段で立ち食いそば店を開店大変な評判にもなっています。
その後バスセンターは廃止、蕎麦屋だけが松木屋1階に、根強い人気を保っていたものですが、松木屋の閉店とともに店を閉じています。
店舗の改装や各種のイベントセールを行ってブランドの充実を図り、人気を博した松木屋でしたが、青森市の都市計画が実行され、サンロード、青森の建設や、イトーヨーカドーの浜田地区への進出など、南方に大きなショッピング街ができると、松木屋の隆盛に限りが見え始めてきます。
大手の西武デパートと提携、経営向上の措置を図ったりしますが、建物の老朽化や狭い駐車場の問題など、自動車社会に馴染んだ市民たちの思いを汲み取れず、次第にブランド性を失っていき平成15年4月23日閉店します。
閉店した松木屋の跡地にはポレスター・新町レジデンスが立っています。
文中にある精養軒のその後ですが
青森駅前に移転して
永らくお土産店・レストランを営業、
その後精養軒は青森市東大野にあじ菜として昭和62年に移転開業
現在では
同じ敷地内ではとんかつ専門店
かつ美亭との2店舗で営業展開して多くのお客様に愛されております
資料青森市市史他