久須志神社はお寺だった。久須志神社と三上町のお話
瀧内村というとピンときませんが
今の青森市になる前
青森市の大分部は滝内村でした。
滝内村は古川村、三内村、孫内村、沖館村、新田村、浪館村、岩渡村
が合併し発足したので、結構大きな村です。
ちなみに37.14 ㎢で、人口は2961人
そんな滝内村の中あった割と小さな三上町のお話です
三上町は大字古川字千刈の一部で
明治三十年青森市に合併された町で現在の久須志、千富の辺り
(よく聞く大字ですがココで確認すると、合併した際の昔の名称が大字
村の下にあった単位が元になって小字と住所にむかしの旧名が残ってるのが大字、小字です)
三上町の名の由来は
明治の末、精米、製粉業者であつた三上円太郎が
青森市外の土地の値上がり予測をやって
買取った土地で、その思惑が当たったところ
この他にも市内ではそんな商人の名前がついた場所が結構あります。
買い取った土地が第一次大戦以来の時期
青森市の人口が急激に増加していき
青森市は北海道へ要所であるので
交通運輸に關係のある人々が増加
青森に勤める人も、港で働く人々も仕事の関係で
港、近くに住居を求めました。
三上円太郎が買った三上町は、
そんなアクセスの良さが魅力だった事でしょう。
三上町を作る為、三上円太郎は
浪館通りの西側で久須志神社附近まで
田がけっこうあったそうで、それを潰すために市内から出るゴミを使って埋めたそうです。
それに、三上町は機関庫が近くの古川跨線橋の下にあつた時代
石炭カスの入手が容易であつたので、地盛りのため石炭を運んだそうです。
石炭カスは雨が降っても、水の吸収が早いから、干きが早いので衛生上よいというふれ込みだったようです。
今から考えられませんが
三上円太郎は
石炭カスや市内のゴミを埋め道路や宅地を作つて行つたそうです。
当時はサラリーマンや労働者が収入が多かった時代
久須志神社まで二十軒ばかり家がなかったのが
大正の終り頃にならない前に
三上円太郎の宅地は容易に分譲が出来たらしいです。
昭和に入つて靑森操車場の場所も移してから、
鉄道の職員が操車場を中心に以前に増して入込りんできたので、
人家も久須志神社を越えて、浪舘村に向つて建っていったそうです。
そんな人も集まって来た三上町、古川町において浪舘村、安田村から生産される米や薬工品が売られたと言います。
三上町には米澤健次郎商店というがあり、藁工品、酒、雑貨類を取扱い、田舎の人や附近の人を対象として商売をしてたそうです。
それに加えて三上町は戦禍をこうむらなかったので、他の町のような悲惨な事も無かったそうで、昔のままの状態で自然に町が少しずつ変化していったそうです。
戰災後、それまでの学校制度が六三制となり、
古川中學校が久須志神社の裏手に建ち
現在の自衛隊の前身の保安隊が浪館に兵舎を建築、
保安隊が駐留すると
三上町、北金沢町、古川町は次第に活氣を帯びて行きました。
そして三上町で忘れてはならないのが、久須志神社です。
久須志神社の創建は延宝5年(1677)で、
以前は薬師堂といわれ古川村民の産神として崇敬され、目の悪い人の参詣が多かったそうです。
それが
明治初年に神仏混交廃止によって薬師堂(やくしどう)は
薬師如来を本尊とする仏堂
つまり仏であるというので、久須志神社と改められました。
補足ですが
日本へ仏教が伝来して以降
日本の人々は「神」と「仏」は同じものとして信仰
いわゆる神仏習合・ 神仏混交の信仰を行なってきたのですが
明治政府により、信仰は廃止されることとなり
寺院は廃寺になるか、
神社に変更して生き延びるほかありませんでした。
そのため久須志神社も薬師堂ではなく、神社として存続する道をえらんだ訳です。
さて、久須志神社の久須志ですが
薬師堂、やくしどうと読みますが、薬師は “くすし” とも当て字で読み、当て字の久須志くすしに変化して残ったという説もあります。
ご存知の方もいると思いますが
久須志神社は青森市には戸門、築木館、沢山平野、鰺ヶ沢、そして外ヶ浜の船岡にも久須志神社が存在
さらに確認出来るのが宮城にも久須志神社
さらに富士山にも久須志神社があって、
それぞれのつながりはどうなのか
調べてみましたがいまいち、はっきりしたものは見つかりませんでした。
久須志神社の隣りに小島の稲荷神社があります。
小島稲荷というのは
米町に文政より天保にかけて
船問屋をしていた小島庄三郎家の稲荷様
小島家は
代々船問屋をしていた青森の老舗ですが
青森町の窮民を救助した家柄
そんな小島家に稲荷大明神が
宅地内にあって
霊験あらたかと言われていたのですが
一般崇敬者に開放することによつて
病災に悩む人々を救おうと
薬師様境内に、合祀したものだそうです。
最後に久須志神社といえば
人がたくさん集まる宵宮も有名ですが
なぜか久須志神社の宵宮は雨が多いとも言われます。
コロナが続いた昨今
久々の久須志神社の宵宮行きたい
と思っている方も多いと思います。
今年は晴れるといいですね。
最後までお付き合い頂きありがとうございます。
良いね、フォローして頂けましたら
励みになります。どうぞ宜しくお願い致します。
記事編集/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属)
記事参考、青森町内盛衰記