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道路の下に用水路が流れてるそうです。八甲通りのお話

「八甲通り」

昭和61年に開館した青森県観光物産館(アスパム)から、
国道を越えて南にある青い森鉄道まで
南北につながる道路を八甲通りと言い
特にアスパムから新町通りまでは
アスパム通りと呼んでいます。

八甲通りは
戦災復興の特別都市計画税整理事業で整備、拡張された道路でした。

昔は新町通りから八甲田の山々を眺められる事から、
八甲通りと命名されたそうですが

青森県庁、青森消防署、青森県警合同庁舎
協働社ビルなどなど

それからたくさんの建物が建って
新町から八甲田山は見えなくなってしまいました。


大きなと言ったら
国道と八甲通りの角にあった
青森消防署には大きな見張り用の望楼火があって
その望楼には署員が在中して市内の火災を
いち早く発見するために交代で見張りしてたそうですが
時が過ぎて行くにつれ電波塔となっていきますが
今はその電波塔も撤去されてしまいました。

八甲通りというと古い時代には
用水路があったそうで。
この用水路は北金沢で毎年出水があるため、
出水を防ぐ目的で作られたんだそうです。
しかし、その後の下水道工事によって下水は
道路の下を流れる暗渠となってしまいます。

そのためなのか
雨がたくさん降ると八甲通りでは割と水捌けも悪く
道路の数カ所にある排水口に間に合いきらない雨量だと結構水が道路に溜まってしまいます。

官庁街に隣接した八甲通りには
昔は現在の村上病院分院のあたりに中華料理の長崎屋支店、
丸大レストランから独立したシェフが開店してレストランアラスカがさくら野デパート脇にありとても繁盛したそうです。

さくら野デパートの駐車場と東口の間には
鉄板焼きのレストランや、洋食のマルコポーロがありました。

サガンビルの店舗はどこもおしゃれでした。

ラグノオの系列店のロトンド、
そのお2階には麻雀屋があり、ココはいろいろ変わりました。
今はクラブが時たま開かれてますが
ロシアの女性たちがたくさんいるパブだったこともありました。

その隣にはガラス張りで
おしゃれなカフェドリッツがありましたが
ここもいろかわりました。

1番長いのは現在営業されてる大間の居酒屋“かえる”ですが
マンガ喫茶、いたりあんばる、パリ食堂、日の丸水産などなど
目まぐるしく変わりました。

そのお隣には
古い民家のお家があって
街並みとはちょっと違和感があったものです。

このお家は一般のお家だったのですが
戦後のバラックで建てられた建物だったので土台が安定してなくて
少しずつ傾いていましたが、近年住まれていた方が高齢の為施設に入所と共に駐車場になってしまいました。



その隣にあるのがエスニックサイゴンです。

〜自分ごとなのでちょっと気が引けるのですが
エスニックのお店として開店したサイゴンですが
早いもので29年と当初は青森にエスニックは馴染まないと言われながらも、コロナ禍もなんとかズタズタなりながらも踏ん張り頑張ってます。〜

話がそれましたが
八甲通りと言えば
青森駅からねぶた祭りを観覧するのに便利なので
ねぶた祭りに人が大勢集まることでも知られてます。

コロナ禍で制限を余儀無くされてきたねぶた祭り

今年は勇壮なねぶたが通りを練り歩くのが今から楽しみです。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

八甲通りのお話でした。

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宜しくお願いします。

記事/鈴木勇(サイゴン、わやわや店主)





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