青森市民を魅了した洋菓子店「青森コロンバン」
「青森コロンバン」
10代20代の方はもちろん知らないと思いますが
青森には今では考えられないくらい流行った洋菓子店があったんです。
青森の洋菓子の先駆けとして
街のサロン として
とても愛されたお店
青森コロンバンです。
たくさんの人の記憶に残るお店のひとつです
そんな懐かしい青森コロンバンのお話です
青森コロンバンは
柳町で生まれた創業者が
銀座コロンバンで修行
その後全国で初めて
コロンバンの名前を使うことが許され
昭和24年11月
青森コロンバンとして開店しています。
一階がケーキの売り場、二階が喫茶室、三階がレストランだったそうです
カウンターを設けた喫茶室では
当時珍しかったコーヒーなども出し
青森の著名人たちも多く通っていたそうです。
三階のレストランのお昼のランチは
たくさんのお客さんがはいったそうですが、
夜の客足が伸びず
営業時間を短縮していき
結局
昭和41年にレストラン部門は廃止しています
一方、洋菓子はたくさんのヒットを出しています。
ショートケーキ、シュークリーム
今は普通に食べられている定番の洋菓子をいち早く紹介したのも青森コロンバンでした。
初めて食べる洋菓子に市民は魅了され
世にこんな甘く美味しい食べ物があるのかと
ビックリしたそうです。
発売時は25円だった最初のヒット商品はワッフル
そして青森コロンバンの工場には
青森県の各地から和菓子屋さんの2代目が修行にきていたそうです。
青森のサンドリオン、五所川原の半沢、弘前のボルドー、マタニさんなどです。
市民に大変愛された青森コロンバンは
最大で県内26店舗、従業員230名、年商約10億円もあったそうですが
次第に銀座コロンバンの本店と折り合いが悪くなって
昭和56年に看板を返上
30万円かけられた新店名に
シャトーブリアンが選ばれましたが
売り上げも伸びず、徐々に経営不振になって行きました。
初恋、浪漫、おもひで、青い山脈などといった
文学作品や映画にちなんだお菓子をヒットさせましたが
昭和63年にその幕を閉じました。
創業から破綻までの39年でした。
コロンバンを経て
青森市にレストランを開いたのが河童亭
八戸のピエロ
五所川原のはんざわ、だそうです
(記事参考:喜多村拓「青森コロンバン物語」北の街社2011年)
記事編集/鈴木勇
資料は上記表記済み他
ようこそフランス料理の街へ:丸谷 馨著記事参考
写真は新青森市史より