津軽弁のルーツ〜津軽弁と南部弁の境界〜
独特の発音、そして語彙
他地方に行くと
津軽弁が通じない事も多いです。
昔故郷青森を離れていて、
むっつい
手袋をはく
うるかす
ごみを投げる
しゃっこい
テレビ入る
など何気なく話して通じなくイライラした事があります。
最近ではテレビでも難解とされてるようで
共通語の字幕なんてのもあり
なんとも言えぬ複雑な気分になる事があります
さて
そんな津軽弁ですが
実は
京都や奈良で6-7世紀に使われていた大和言葉がベースで
当時北海道から北東北に住んでいたアイヌ民族の言葉が少し入り
長い年月をかけて転訛
今のようになったそうです
さて同じ青森県の中でも各地言葉が少しづつ違いますが
なかでも津軽と南部では言葉が結構違います
これは
津軽地方と下北地方・南部地方の間には奥羽山脈があり、
人の行き来が困難
それに加え
江戸時代を通じて
藩政を異にした事もあり南部、津軽の両地方は交流はほとんど無かった
そんな理由で
元々は南部弁も津軽弁もおんなじ“奥羽方言”のなかの
“北奥方言”なのですが
独特の発展を遂げて今に至るそうです
ところでー津軽弁と南部弁の境界はどこなんでしょう
藩境は黒石藩と盛岡藩との境
そんなしっかり境が存在しないのが結論だと思うんです
なぜなら
狩場沢と野辺地とは交流がありましたし、
馬門湯に入るために境目番所を通ってきた津軽の人々も居たと
資料に残されています
当然、この辺りはいろいろ影響されあっていておかしくはありません
ちなみに藩の境目は関所ではなく境目番所といい、
野辺地側は馬門の温泉入口に通じる旧国道の処
狩場沢は青森方向に国道四号線が急カーブしている坂道をおりたところから左に入った高台にあったんだそうです
何れにせよなので、そんな理由から
今も狩場沢と
馬門の間が津軽弁と南部弁の境界になってるんだとか
下北弁ですが
下北弁と南部弁の境界というのは
津軽弁と南部弁ほどはっきりしてないようです。
なぜかというと
下北弁は南部弁をもとにしながらも、海を通して津軽地方や
北海道から人が出入りし、それとともに言語や文化も出入りしたからとも言われます。
わたし達の使っている何気ない
言葉には歴史的背景がありますが
その事をしっかりわかった上で
言葉のなかのいろいろなものを大切にしながらも
未来に向かって地域が手を取り合っていきたいものです
道路の整備、新幹線など現在では交流も盛ん
後々言葉も変化を遂げて行くのかもしれないです
街グルメin青森
記事編集/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属)
参考図書
弘前読解本(弘前コンベンション協会)
参考サイト
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/北奥羽方言
http://human.cc.hirosaki-u.ac.jp/kokugo/hougen/test_kyoukai.htm