「合浦公園からやってきた進駐軍のお話」
「合浦公園からやってきた進駐軍のお話」
太平洋戦争が終わって
青森県に何と1万5000人の米軍などの進駐軍兵が上陸したんだそうです。
青森市だけだと、2140人
弘前には4822人、八戸が3200人、三沢は2675人、大湊に2500人
これだけの進駐軍が青森県に上陸しております。
数だけみてもビックリです。
ちなみに全国では40.5万人の進駐軍が日本に来たそうで
東北地方に進駐した兵力の半分が本県にやって来ています。
青森市の場合
終戦後占領政策を行う為
初めは海軍、次いで陸軍の進駐
陸奥湾より青森港、合浦公園、八重田の海岸地帯から上陸
青森市では進駐軍が上陸する前、不安が広がって、いろんな噂が流れたそうです。
進駐軍に関する「情報」はどれも恐ろしいものばかり
進駐してくるアメリカの部隊は
フィリピンなどの最前線で戦ってきた猛者達で
通称ワイルドキャッツ(山猫部隊)と言う部隊
何をしでかすかわかったものではない。
「疎開できるものは、他所に移ること。女は化粧もせず、モンペかズボンを着用すること」という回覧板が回り、一層不安を募らせ
青森市の街の通りには人の姿が見えなかったと言います。
進駐後の米軍は
市が仮庁舎としていた公会堂(現在スポーツ会館)に拠点を置いて
旧五連隊兵舎に1000人
合浦公園にかまぼこ兵舎(かまぼこ型に宿舎)を立て200人
その他にも片岡、小館木材、油川飛行場、佃、沖館
県庁西側、公会堂前などにそれぞれかまぼこ兵舎を立て
そこに駐留したそうです。
駐留した進駐軍ですが
既存の政治機構をつかって間接的に県を統治
食料などについては直接指導をおこなったそうです
この占領軍による軍政はその後昭和27年まで7年間続いています。
終戦直後、日本の子供達が
「ギブミー・チョコレート」と言って
アメリカの兵隊に群がっていくというものがあります。
知り合いからも
チョコレートをもらった話は聞いた事があります
ところで、あのチョコレートの費用
実は日本政府の予算から出ていたものだということを
みなさんはご存知でしょうか。
終戦直後の日本は、
当然財政的にも非常に厳しい環境下でしたが
米軍駐留経費は、
1946年が国家予算の32%にあたる379億円、
1947年も国家予算の31%にあたる641億円も占めていました。
この中からもちろんチョコレートの費用も捻出されていたのです
日本の国家予算の約1/3が、
アメリカ人たちのために使われていたのは知っておきたい事実。
ところで
今でこそ市民の憩いの場となってる合浦公園ですが
米軍による接収後の部分的な返還を繰り返し
全面的な返還がされたのは
昭和29年の12月のことだそうで
米軍が進駐していたことにより
公園内の松や桜は枯れ
返還後の合浦公園は荒廃しており
海水は汚染して
今のような公園に戻す為
市による整備はその後10年にも及んだそうです。
記事編集/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン店主)
記事参照資料/新青森市史
青森の歴史(青森市刊)
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