蝦夷地と青森港、弘前そしてアイヌの話
かつて、北海道の厳しい気候の中で、
狩猟と採集の生活を送る人々が暮らしていました。
彼らは旧石器時代の約2万年前から
北海道に住み着き、その原始的な生活が数千年にわたって続きました。
アイヌ民族です
本州で紀元前3世紀頃まで成立したとされる農耕社会も
北海道では、その自然環境のため、発展しませんでした。
しかし、その環境の中で、アイヌは存在し
日本の中世にあたる、時期にアイヌの文化が形成されていきました。
時は鎌倉時代、室町時代、戦国時代へと移り
この時代になると、アイヌの生活に大きな変化が訪れます。
和人との交易が盛んになり、本州から進出してきた和人も北海道南部に定住するようになっていったのです。
この時期に成立した松前藩は、アイヌとの交易権を独占し、それを蝦夷地支配体制の根拠としました。
松前藩はアイヌと和人の居住地を分け、両者の往来と交易を制限しました。交易は不当な価格で行われ、アイヌの不満が高まりました。
そして、寛文9年(1669年)、アイヌの首長シャクシャインの指導の下、アイヌ側は不当な交易に対する不満から蜂起しました。
元々は民族間の諍いから始まった戦いだったのですが、和人とアイヌ間における史上最大の戦争へと発展。
最終的には松前藩が和睦を申し出ますが
その酒宴の場でアイヌの首長シャクシャインほかを謀殺
これをきっかけに北海道全域にいるアイヌに対し松前藩は絶対的な主導権を握るようになっていくのです。
そんな松前藩による蝦夷地支配が続き、北海道の情勢は変化していくのでした。
一方、青森県の津軽半島や夏泊半島にもアイヌの居住地が存在していました。
津軽海峡や陸奥湾に面したこの地域には「狄村(えぞむら)」と呼ばれるアイヌの集落がありました。
彼等は津軽アイヌと呼ばれていました。
この青森県域は幕藩制国家においてアイヌの居住が確認される唯一の地域であり、アイヌの文化が息づいていました。
寛文蝦夷蜂起、別名をシャクシャインの戦いをきっかけに、弘前藩はアイヌとの関係を重視しました。
蜂起に備えて青森町に弘前藩の城とも言える
御仮屋が建設されるなどの準備を行い、軍備を整えたほか、松前や蝦夷地の情勢について情報収集し、幕府に報告をしました。
この活動は幕府に高く評価され、弘前藩の藩意識を高める役割を果たといわれます。
その後、青森湊は彼の地北海道とつながる、あるいは江戸に米などの物資を送る重要な港湾都市として発展し、政治的・軍事的な役割も担うようになりました。
また、弘前藩は津軽アイヌを使役し、彼らを藩の体制に編入させる政策を進めました。
アイヌの存在は政治的な関係や朝貢関係の形成にも影響を与え、彼らは弘前藩の一員として活動するようになりました。
そして同時に幕府の方針もあり、津軽アイヌは一段と和人化されることを迫られました。
アイヌ蜂起の出来事は、北海道、青森の歴史において重要な節目となったのです。
その後徳川幕府の終焉とともに日本は開国
1868年に明治政府(日本政府)が成立しました。
その翌年、北海道地域の開拓を目的とする官庁「開拓使」が設置されました。
しかし、日本政府は文明国への発展を目指す中で、アイヌ文化を野蛮なものとみなし、アイヌ語の使用や文化の継承を抑制する同化政策をさらに推進しました。
この政策により、アイヌは和人式の姓名を付けることを強要され、耳輪、入れ墨などの独自の習俗も禁止され、広大な北海道の土地が明治新政府によって、次々と奪われていきました。
もともとアイヌのものであったこの土地は、政府による「保護」の名のもと、アイヌの多くの土地は没収され、サケやシカの狩猟など、彼らの主な収入源が自然保護の名目で禁止されました。
同時に、名目上はアイヌの保護を謳いながらも、極めて差別的な名称を与えた「北海道旧土人保護法」が1899年に制定
日本語使用の義務化や植民地主義的な政策が法的に根拠づけられるようになります。
この保護法は何と1997年まで約100年にわたって続きアイヌの人々は言われのない差別と圧政に苦しむこととなりました。
この間、アイヌ文化の継承は途絶え、アイヌであることを隠して生きる人々も多く存在しました。
そのせいもあり、ほとんどの日本国民がアイヌ民族は同化、あるいはその誤ちにも気づかない、知らない、興味すら無い
いわゆる「日本単一民族国家」だと思う幻想が蔓延することとなるのです。
そして1986年、当時の首相である中曽根康弘が「日本は単一民族国家である」という発言をしたことで、アイヌの人々の怒りが一気に膨れ上がることとなりました。
この発言は、長年、和人と隣り合って暮らしてきた民族の存在を無視するものであり、アイヌの人々にとっては深い傷となりました。
この発言に対して、北海道や全国各地のアイヌの活動団体が一致団結し、大きな政治運動が起きました。
結果として、1997年には「北海道旧土人保護法」が廃止され、アイヌ民族に対する差別が撤廃されることとなりました。
また、文化の継承を目的とした「アイヌ文化振興法」も成立。
2008(平成20)年、国会において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択されました。
日本政府が公式にアイヌ民族を先住民族と認めましたが、たくさんの問題を残し続けて今に至ります。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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引用・参考文献
記事参考 新青森市史通史3
アイヌ民族の歴史
先住民族の近現代史/他
記事作成 鈴木勇(サイゴン、わやわや店主)
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