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りんご市場のお話

りんご市場と青森駅

りんご市場は闇市を起源として
組合として誕生したのが昭和30年だそうです。

青森駅で鉄道と連絡船を乗り継ぐ
多数の人々を相手に、
青森県最大の特産物であるりんご販売を
手がけたことで成功し
その後、次第に青森駅前から古川跨線橋方面へ続く
巨大な市場街を発展し
その珍しい姿から全国的に有名となっていきます。

りんご市場というと
りんごしか売っていなかったかというと
りんごを売っていたお店というのは
駅に近くにあったお店だけで
実際には、ニコニコ通りくらいから南側の方のお店は
屋台風のいわゆるいっぱい飲み屋といった飲食店で
学生だった帰り道、通ると若干怖かった気がします。

さて、りんごですが
りんごは青森駅を利用する乗客が
乗り継ぎのちょっとした時間に購入するという利便性もあり
青森駅に近くあったお店ほ方がよく売れてたそうで
りんごの収穫された秋から春まで販売し
夏はお休みするお店もあったようです。

駅から遠くのお店は売り上げを上げる為
客足も少ないぶんりんごだけでなく
バナナやほかの果物などなどを売ってしのいでいたようです。

ところで青森駅というと
思い出されるのが『寒い』そして『長い』
というイメージでしょうか。

長いホームを足早に連絡船へ乗り込む人の姿は特に印象的でした。

長いホームを荷物を持って歩くのは大変な為
荷物を運ぶ運び屋「赤帽」さんもたくさんいました。
そんな『背負い子さんの姿』 も名物でした。

乗客はホームが長いせいで『降りるときに歩かなくてもいいように階段に近い車輌に乗った』 とか『船にのるのも列車に乗るのもとにかく走った』記憶に残るところです。

『テープで見送り』桟橋周辺では、旅立つ人を見送り出港時にテープを投げ込む光景も印象に残っています。

ホームには土産物屋や立ち食いそば屋もあり、そばを買い求め列車で食べりもしたものです。

そんな青森駅も交通の主役が鉄道から自動車へ変わっていき

昭和62年4月の国鉄民営化され
昭和63年3月りんご市場や駅前の市場街を支えた青函連絡船が廃止され
りんご市場周辺の跡地は、再開発事業によって大きく姿を変えていきました。

思えば青函連絡船は青森にとって大きな存在だったのだと思います。
連絡船があった頃、長旅の合間
青森市で過ごす旅行者が多く、買い物をしたり、宿泊したりと
新町、古川をはじめ市内にも活気がありました。

青森市は港町として発展してきたので
港の利用が少なくなって活気も無くなるのは当然なのかと思わずにいられません。

今かつてのりんご市場の痕跡はみあたりません。

記事 鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン)

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