獄中有感(ごくちゅうかんあり)
=獄中有感(ごくちゅうかんあり)=
朝に恩遇を蒙り 夕べに焚坑せらる、
人世の浮沈 晦明に似たり。
縦い光を巡らさざるも 葵は日に向かう、
若し運開く無きも 意は誠を推す。
洛陽の知己 皆鬼となり、
南嶼の俘囚独り 生を盗む
生死何ぞ疑わん 天の付与なるを、
願わくは魂魄を留めて 皇城を護らむ。
=解釈=
朝方には君公より大事にされながら、
夕方には穴の中に生き埋めにされてしまう。
人間の運命というものは、空の雲のように定まりないものだ。
葵という花は曇っていても、いつも太陽に向けて咲いている。
もし、自分が運が開けず、晴天白日の身になることが出来なくても、
心はいつも忠誠を尽し続けるつもりである。
京都にいた同士たちは皆死んでしまい、南海の孤島に自分一人
ぬくぬくと生きているのが不思議なくらいだ。
生と死は天の与えるもので、
人間の力の及ばぬことは疑いの無いことではあるが、
願うところは、命がなくなったとしても、
魂だけはこの世に留めておいて、天皇をお護りしたいものだ。
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西郷南洲翁の漢詩は全部で199句あるそうです。
最初の漢詩が、この「獄中有感」です。
西郷さんが沖永良部島の獄中で
生死の淵をさまよいながらも、いかに天皇をお慕いしていたか、
その心中を察することができます。
西郷さんは、
自分は何一つ悪いことはしていない。
その理不尽さに憤りがなかったわけではないと思います。
しかし、どんな逆境におかれても、決して自暴自棄に陥らず
冷静な態度を貫き通して、死を覚悟しながらも生死一如の境地を
求めていきました。
死の淵から蘇った西郷さん。
赦免され、沖永良部島から本土に移り、
それからの西郷さんの行動力は皆さんご存じの通り。
「敬天愛人の思想」も沖永良部島で生まれています。
さて、その沖永良部島での西郷さんの生活はどのような状況だったのか?
沖永良部島出身の内さんに語ってもらいます
そして、今回のゲストスピーカーは
敬愛大学経済学部教授の藪内正樹さんです。
テーマは、
『縄文文化と敬天愛人思想:一神教文明のアンチテーゼ』
2023年11月14日筆