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写真と絵画、ファインアートについて、考えてみる。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
福田 彩午(ふくだ さいご)です。
無事2日目の筆を取ることができました。
1日目でも書きましたが、僕は現在、不安障害と共に生活してる関西の写真好きです。
今日は、なんとなく普段考えている事をつらつら書いてみようと思います。
僕は写真と同じくらい日本画が好きです。
ここで使っている福田 彩午の名前、その福田も大好きな日本画家さんからちなんでつけました。
僕は写真のイメージなんかを考える際に、良く画集なんかを見たりします。それは、色の勉強だったり、構図の勉強だったり理由は色々ありますが、何より一番僕が頼りにしてるのは、「引き算の美」がそこに現れていると考えるからです。
写真はシャッターを切るだけで画角にある全てを切り取ります。それでは記録です。何かそこにストーリーだったり、メッセージだったりを入れ込むためには、鑑賞者が想像しうるスキマが必要なんじゃないでしょうか。
絵画はそれを本当に上手く表現しています。作者がモティーフに受けた感動をモティーフに投影し、必要な部分のみを鋭く切り取った名作が世の中にはたくさんあるのです。
僕は美術館にもたくさん行きます。
彫塑、洋画、日本画、出来るだけ選り好みはしないようにしています。
それぞれがそれぞれに「美」を表現するために何を引いて、何を際立たせたのか。表現のヒントは、そこに膨大にあるのですから。
うろ覚えですが、その昔に写真という技術が作られたのは地学系の学会でしたが、写真という技術が発表されたのは美術系の学会だったのじゃあなかったかしら。
写真はもともとその両方の側面を持って生まれているのです。
記録であり記憶である。
全てを写せるが故に、引くべきを、引き方を知らねばならない。だから写真はそのジレンマを楽しめるかが大切、、、なのかなーと。
まぁ、色々考えてますがまとまりませんし、みんなとりあえず美術館行きましょう。
偉大な作品って偉大ですよ。
どう偉大なのか。
それは作品の前に立って空気感を共有した人にしかわからない、作品と鑑賞者の間にある"トクベツ"なのです。
あ、載せてる写真は、全部FUJIFILMのX-Pro2で35mmF1.4です。明日はこのカメラそのものの話してみようかな。