"西元寺"にまつわるエトセトラ
Saigenji というアーティストネームは1stアルバムを録音し終わった頃に決まった。2002年のことである。アルバムを発売するにあたってアーティストネームとアルバムタイトルを決めねばならないと言われ、それまで活動していた本名の"西元寺哲史(サイゲンジアキフミ)をそのままアルファベットのSaigenjiに変えた。
特に深い意味や思い入れもなく「アーティストネーム?あー、そっすね、アルファベットにするとかいいんじゃないっすかね?」くらいのノリだった気がする。今も僕のメインスタジオであるスタジオハピネスでのことだ。
そしてそのままアーティストネームが1stアルバムのタイトルとなり"サイゲンジ出現"なる印象の強い帯の文句とともにSaigenji青年のクセの強い音楽は世に放たれることとなった。
それから20年、である。酒を飲みながら
近所で見た変わった苗字の表札の読み方を検索しながら、はて西元寺って日本でどれくらいいるのかな、と調べて見た。
…福岡に10人、鹿児島に10人、関東に10人…
あれ。これみんな親戚ではないか!
ということはなんだ…。西元寺ってうちの親戚筋しかいないのか。そりゃまたレアなことだな。
そういえばYouTubeやwebで自分の演奏や音楽を検索してもまずカブる名前の人やグループは出てこない。(これは結構ラッキーなことであった)
また聞き馴染みのない響きだからか、複数で仲間と演奏するとき「それではサイゲンジのみなさま、どうぞ!」とか「サイゲンジってユニット名なんですよね?」とか今でもある。
それは俺の苗字なんですよね。と言うとまあ大抵驚かれるわけだ。そーか。やっぱり珍しい名前なんだよな。
小学校の頃からサイゲンジでは長いのでみんなからは「サイゲン」とか大学生時代のバイトでは「ゲン」呼ばれていた。「名前」というのはその人のキャラクター形成に多かれ少なかれ影響を与えるものだ。やっぱり珍しがられるので、珍しいことをしたくなってミュージシャンになったのかもしれない。
さて、西元寺という名前のルーツはとりあえずわかってることとしては熊本の南阿蘇のお寺である「西元寺」にある。
今はお寺はもうなく、写真の跡地となって記念碑が立つのみ。数年前両親、家族と訪れたが、それはそれは見晴らしの良い素晴らしい場所であった。
西元寺家の親戚はなんだかキャラの立った人が多く、福岡の大牟田で薬屋さんを営んでいた祖父母とともに、明るく、大らかで、でも決して下世話ではない、どこか一匹狼風の魅力的な人が多い。
結構自分の美学の重要な部分は西元寺家の親戚筋の影響があるのかもしれない、と書きながら思う次第だ。
でも西元寺家でミュージシャンになったのは自分が初めてだ。割とお医者さんや大きな企業で働く親戚の多い中、アーティストなんぞという一匹狼でフリーランスでヤクザな職業に邁進したことは、阿蘇の西元寺で見た見晴らしの良い茫洋とした景色と無関係ではない気がする。
きっと前世からの何かの縁があったのではないか
と思えてしまうのだ。
そんなSaigenjiさんも後継ができて、ミュージシャンになるかは別にして息子だし西元寺姓は受け継がれていくことだろう。
この名前を貰っただけでも、何かに守られている、といつも思うので、君は安心するがよい、と思うのだ。