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受け入れることができたのか?

私の母が昨年末に亡くなりました。

数年前から寝たきりだったのですが、顔を見に実家に帰り少し話しをすると「もうこんな体で長生きしたくない」といつも泣いていました。
「長生きしたくない、死にたい」そんなことばかり話す母になにかできたかと今でも思います。
でも、なにもできませんでした。
涙を流す母の姿を見ながら、かける言葉もなにも見つからないのです。
どんなことを言ってあげればいいのか、なにを聴いてあげればいいのか、まったく分からずに、ただただ、そこにいることしかできませんでした。

最後の2年間は関西に住む弟が近くの施設に母と父を呼びよせてくれて、いろいろと世話をしてくれていたのですが、その中でのコロナ禍の発生。
ろくに見舞いにも行くこともできず、母も症状が進みどんどん衰弱していきました。
最後に顔を見たのはちょうどご法事の帰り、危篤になったとのことで弟がスマホでつなげてくれたので少し言葉をかけることができました。すでに意識があるのかも分からない状況で「よく頑張ったね」と言うのがやっと。
そして、その日の夜、母は往生しました。

お通夜、お葬儀は弟がすべて段取りをつけてくれて滞りなく執り行われ、火葬も無事に終わってほっとしたのですが、私もお坊さんとしてたくさんの方のお葬儀をお勤めさせていただく中で、まさか自分の親の葬儀に立ち会うことができないとは思ってもみませんでした。

そんなこともあり、以前読んだ本を思い出したので少し紹介したいと思います。

野沢直子さんが書いた『笑うお葬式(著者:野沢直子 発行日:2017年10月12日 出版社:文藝春秋)』という本になります。
野沢直子さんは、私の世代にとってはダウンタウン、ウッチャンナンチャン、そして清水ミチコさんと共演していた『夢で逢えたら(1988年~1991年 フジテレビ)』という番組が忘れられないお笑い芸人です。
今でいうところの森三中の大島さんや、いとうあさこさんのように「体を張る系」の女芸人のまさに先駆けとなった人じゃないでしょうか。
アメリカ人とご結婚されて、今ではサンフランシスコで生活をしつつ、年に一回くらい来日してはいろいろな番組で「(本人いわく)出稼ぎ」をされています。
そんな野沢さんの書いた本である『笑うお葬式』、主役は彼女のお父さんなのですが、このお父さんがまさに「はちゃめちゃ」な人で、その人生は「波瀾万丈」としかいいようがありません。
もし私がこの父親の子どもだったら、子どもながらに思わず頭を抱えてしまって逃げ出していたと思います。
野沢さんもやっぱり、こんなお父さんに対して複雑な気持ちを持っていたようですが、そんなお父さんが亡くなってしまったとき、野沢さん自身もびっくりするぐらい号泣してしまいます。
そんなお父さんのお葬儀でのこと。
お父さんは無宗教の方だったので、その意思を尊重してお通夜、お葬儀にはお坊さんは呼ばずに、そしてごく身内の方々のみで行ったそうで、このお葬儀がまたある意味すごい!のですが、私が印象に残ったのは、そのあとの火葬場でのことです。
少し長くなりますが、引用します。

火葬場、というところは失礼ながら本当に嫌なところだと思う。母が亡くなった時は、ここが一番辛かった。
故人の骨を拾うなんてこれほど辛い作業はなく、母の骨を見ることが出来なくて、母が死んだという事実を受け入れることができなくて、私と弟はその場から脱出した。だが、私と弟は母方の親戚に無理矢理、その場に連れ戻された。大事な人が骨だけになってしまうのを誰が見たいと思うだろうか。この時以来、火葬場とは、『この人は死んだのだ』という事実を、なんの配慮もなくつきつけられる嫌な場所だという印象を持ってしまった。
だが、今回はその一緒に脱出した弟が喪主であり、逃げるわけにはいかず、私も深呼吸してその作業に向き合った。父の乗せられた台は火の中に突入していって、しばらく経つと、これが人間の身体の一部だと言われてもぴんと来ない白いかたまりがゴロゴロと乗った台だけが戻ってきて、これがお父さんですよ、と言われる。なんだか騙されているような気持ちになる。焼き上がった父の、残された骨はところどころがピンク色になっていて、私はワインの飲み過ぎかなと咄嗟に思ったが、どうやらそうではないらしい。
火葬場の方から、「こちらが故人様の、のど仏でございます」と機械的に説明されて、父のその骨を見せられた。この方は一体一日何回この説明をしているのだろう、そのたびにいちいち感情なんて込めていられないだろうなと余計なことを考えながら、機械的に父の骨を拾う。
やはりここは嫌な場所だ、という気持ちは否めないにしても、今回はこの作業を終わらせなければというくらいの理性は働き、私は手を動かした。そして父を小さな壺に収めてしまうと、それはますます父ではないような気がした。
昨日まで存在していた人が、骨というおかしな白いかたまりを残して、跡形もなく消え去る。
これで、父の肉体はなくなったのだ。魂が抜けてしまうと、人間の身体は動作しなくなって、機械のように冷たくなる。その後、それを燃やすことによって、父の顔の皮膚や髪、時には睨み時には嬉しそうに私を見つめていた目、煙草を持っていた手、怒鳴ったり笑ったりしていた唇は、もうこの世には存在しないものとなる。父、という物体はこれで実質なくなった。この場所はやはり、その現実を何の配慮もなく押し付けてくる嫌なところであることは間違いない。告別式までは笑っていたのに、やはりここに来ると、この現実が重過ぎて私は顔を上げられなかった。

昨日まで存在していた父親という愛する人の身体が無くなるということはどういうことなのか。
ただ肉体が消滅して骨だけになるということだけではなく、「時には睨み時には嬉しそうに私を見つめていた目」という、父親も自分を愛してくれていたという温かい思い出の中にあるもの、そして「煙草を持っていた手」「怒鳴ったり笑ったりしていた唇」といった父親を象徴していたもの、それら全てが「跡形もなく消え去る」という現実。
その現実と否応無しに向き合わなければいけない悲しみ、苦しみが痛いほど伝わってきました。

本願寺出版が出している『大切な人を亡くすということ~自死・葬儀・グリーフケアを考える~(企画編集:浄土真宗本願寺派総合研究所 発行日:2013年6月10日 出版社:本願寺出版社)』というブックレットによると、ご遺族の方々が死を受け入れていくタイミングは3つあるとされています。

1つ目のタイミングは、お棺の中に収められる「納棺」という時間です。病院から家に運ばれてきた時点では、まだ遺族の人は、死んだという現実に心の底から向き合っていないのかもしれません。頭では亡くなったとわかってはいても、棺の中に収まるまでは、どこかまだ生きているような感覚といいますか、すごくあいまいな時間を過ごしているような気がするのです。棺の中に収まったときに、「ああ、やっぱり本当にこの人は帰ってこない」「もう別の世界に行ってしまったのだ」という実感が、少し沸きはじめます。
 2つ目のタイミングはどこかというと、葬儀社や自宅でお別れをして火葬場に向かう前や、「最後のお別れの時間」といわれるような、「出棺」のタイミングです。おそらく「死が現実なのだ」ということを受け止めなければいけないことになるのだろうと思います。
 最後に3つ目のタイミングですが、これはもちろん、火葬場に行って炉に入る前です。「本当にこの人は戻ってこない」ということを感じる時でしょう。僕はこのタイミングが、ご遺族の方が死の現実を受け入れざるを得ない、そして受け入れていくタイミングなのかと思います。

野沢さんもまさに火葬のタイミングでお父さんの「死」という事実を突きつけられて、それを受け入れざるを得なかったのかと思います

私は上記の3つのタイミングすべてに立ち会うことができなかったので、この「死を受け入れていくタイミング」を実感として感じることができませんでした。
だからといって母の死を受け入れることができなかったのかというと、そんなことはないと思っています。
母は長く患っていたこともあり、その時間の中で遠くなく最期を迎えることになるという気持ちの整理はできていましたし、なにより浄土真宗のお坊さんとして「”死”は今生の命の終わりではあるが、阿弥陀さまの救いのお用きによってお浄土に往生し、仏さまとしてのいのちをいただく尊いご仏縁である」といただいているおかげで、気持ちの中に「母の死」がすっと入ってきたような気がしています。

あれから半年少しが過ぎ、ちょうどお盆の時期を迎えていることもあり、母のことを思い返し、死や命の在り方、人生の尊さ、そんなことを改めて考えているところです。

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釋 輝信(しゃく きしん)
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