【一日一捨】 水中メガネ用度付きレンズ
モテ期というものがあるとすれば、間違いなくあの頃だ。
その夜はいわゆる合コン的な飲み会だった。が、翌日は税務調査があり、当時借りていた仕事場兼自宅に朝一番で税理士さんと税務署の調査員が来ることになっていた。税理士さん曰く、特に何か問題があったわけでなく、ただ順番が回ってきただけだという。とはいえ、朝の8時半に来るというので、今夜は早めに休みたいと思いながらも飲み会に出かけた。
あまり気が進まないまま参加した飲み会だったけれど、友達が連れてきたアヤちゃんという女の子と思いのほか、意気投合した。ふたりで2軒目のバーに行き、もう帰ろうかという頃にはアヤちゃんは相当できあがっていた。帰りの方向が一緒だったので一緒にタクシーに乗ってお金だけ置いて帰ろうと思っていたら、僕のマンションが近づくにつれ、アヤちゃんは「泊まっていきたい!」と絡み始めた。まさに据え膳的な状況だけど、本当に大丈夫か。アヤちゃん、これ絶対酔っ払って憶えてないだろ。朝起きて「ここはどこ!?」みたいなことになっても困るし、何より明日は朝から税理士さんと税務署の調査官が来る。仕事とは関係ないとはいえ、前夜に連れ込んだ女の子が部屋にいたりしたら、調査官の印象も悪いだろう。よりによってなんでこんな日に。とりあえず僕は激しく葛藤しながらも、「明日は8時半から税務署が来るので」と断ったが、アヤちゃんはかたくなに泊まっていくと言って譲らない。
「タダでとは言いません! これ上げますから! これ!」
酔っ払いの妙なテンションで、アヤちゃんが鞄の中から取り出したのは、水中メガネに装着する度付きレンズだった。意味がわからない。何故そんなものを持ち歩いているのか。
そうこうしているうちにタクシーは僕のマンションの前に着く。言っても絶対憶えてないだろうなと思いつつ、僕はもう一度念を押す。
「明日は絶対、8時半までに出て行ってよ?」
「了解了解〜」
笑いながら、部屋に入るとアヤちゃんはそのままベッドに倒れ、3秒で寝てしまった。シングルのベッドは一緒に寝るには狭く、しかたないので僕は特に急ぎでもない仕事を朝までちまちまとやって時間を潰した。6時半くらいになり、そろそろ起こさなきゃなと思いつつ、近くのコンビニに食材を買いに行き、朝ご飯の準備をしていると、アヤちゃんが起き出してきて、眠そうな目で言った。
「8時半までに出なきゃなんでしたっけ……?」
ちょっと驚いた。憶えていたのか。トーストとハムエッグを一緒に食べ、アヤちゃんは約束通り8時過ぎには帰っていった。
その後、何度か2人で飲みに行ったけど、特に色っぽい展開にもならず、ただの飲み友達のまま、なんとなくフェイドアウトした。水中メガネの度付きレンズは、何故そんなものを持っていたのか聞いてみたけれど、本人もわからないという。「前の夜もかなり飲んで酔っ払ってたから、そのとき誰かに貰ったのかも」と言ってアヤちゃんは笑った。捨てる。