絶望に逆らって幸せになる努力
先に断っておくが、これは純粋に私が感じたことを述べているのであり、なにか善悪を決めつけているつもりは全くない。私の心の底に溜まった泥を、この場を借りて掃き出させていただく。というか、辛かったんだから仕方ないでしょ。他人はその人の幸不幸を決められないのでね。人には人の苦しみ、私には私の苦しみ……。
今時珍しくないかもしれないが、私の両親は私が幼いときに離婚した。そのとき私は3歳だった。そして、数年後、私が思春期に入ったあたりで母親が再婚し、それからは母と再婚相手と私の3人で暮らしていた。つまり、その間に私の苗字は2回変わったことになる。
両親がなぜ離婚したのかは今でも知らない。小さい頃聞いたのかもしれないが覚えていない。両親には、離婚しても仲が特別悪い様子は見受けられない。しかし、どうしてもこれ以上一緒に暮らすことのできない理由があったのだろう。この選択は仕方の無いことで、結局は正解だったのだと思う。ただ、私の心の中に、ある相反する気持ちが一時期ずっと心の奥底にあった。離婚したことを当たり前に受け入れる気持ちと、離婚したことを自分のせいだと思い傷つく気持ちである。
小学生の頃は、親が離婚したことや、家に父親がいないことに対してなんの思いも抱いていなかった。何にも気にせず生きていけるくらい呑気だった。むしろ、他の人とは違う家庭環境ということにうっすらと特別感を感じていた気もする。母親にも愛されていたと思う。
しかし、小学校高学年あたりだろうか、いつのまにか自分の根底が揺らいでいることに気づいた。
うまくいかないことがあると、親が離婚したという過去がその証拠であるように感じてしまうようになったのだ。
自分は父、母にとって「元恋人の子供」とも言うことができる。最初から母が離婚しなくて済む相手と出会っていれば私は生まれていなかった。そう思うと「自分は生まれてこなくて良かったのか」と見当違いだと分かっているのにどうしても考えてしまう。(ごめんなさい、同じ境遇の方が居たら真に受けないでください、生まれてきてくれてありがとうございます)それに、今更考えても仕方ないのに、「私は、父親を引き止められるような存在ではなかったんだ」という思いが心を陰らせる。「ならば鏡に映る自分がこんなに醜く見えるのにも納得出来る」「他人に疎まれているように感じる」「嫌われている、私には人権がない」など、際限なく自己否定感は増幅していった。根拠を見つけてしまえば、劣等感を生み出すのは簡単だ。失敗した経験を忘れられず、自分が何をする権利も持っていないように思うようになった。
さらに、離婚について何も気にしていなかった頃の出来事まで私の胸に重くのしかかり始めた。私は、保育園と小学校低学年の頃にいじめられていた時期があった。ランドセルは小学一年生の時に傷だらけになり、卒業するまでそのままだった。それでも当時はわりとケロッとしていた。そうしていられたのは、自分がまだ子どもであり、許される存在であり、生きることを大いに許される存在であると、自分なりに感じていたからかもしれない。思春期になると、幼い頃とは違い、自分の醜さが目につくようになってしまった。嫌な記憶や失敗が嫌に頭にこびりつくようになり、「自分なんか」という気持ちが芽生えた。
いつしか、できるだけ人目に触れず、人に与える影響を最小限にして生きたいと思うようになる。最近知ったのだが、これは、いわゆるアダルトチルドレンの「ロストワン」タイプであるらしい。私は正直今(大学生)でもその傾向がある。noteやTwitterを去年から始めたので、少しはその傾向は薄れているのだとは思う。人の目に触れる可能性のあるツールで自分の感情を残すようになったのは大きな進歩だ。でも、やはり、親しくない間柄であれば、会ったあとに私の事などひとつも考えて欲しくない。思い出して欲しくないと思う。私が居ても居なくてもいい場所には行く意味を見いだせない。私が居る意味を作ることも意欲的に出来ない。私が居たところでむしろ迷惑だろうと閉じこもってしまうことはもはや日常茶飯事である。
小学校高学年頃から始まった自信喪失の繰り返しは、ある日、高校で信頼出来る友達に出会ってからアップダウンの振り幅が小さくなった。これは私の人生でのかけがえのない幸福である。私の中のポジティブ成分のほとんどはこの友人からもらったものだろう。(この友人についてもいつか詳しく書きたい。)
しかし、私の高校生活のうちの一年間はクラスの中で孤立していた。一時期本当に病んで、疲れ果てて何も手につかなくなり、学校に行けなくなると本気で思った。やはり、私は当たり前のようには社会に溶け込めないのだと軽く絶望した。
高校3年生の時、受験生特有のストレスかは分からないが、抑えられていた負の感情が溢れ出すことが多くなった。感覚としては、次に進むために負の感情を精算しているような感じだった。その年のある日、親が離婚した人のうつ病発症率が高くなるという情報をインターネットで見かける。その時、私は朝の通学電車の中だった。私は「やっぱりな」と思った。そして、その情報を見た朝の電車の中で静かに泣いた。私の中の劣等感が膨らみ、渦巻き、全てが溢れた。その心のフォルダが決壊した。涙は止まってくれず、駅から学校まで歩く間も視界は涙で滲んでいた。結局教室に着いても止まらなかった。この気持ちは中学の頃の比ではなかった。ついでに今までの嫌な記憶がまた次々とよみがえり、私をを追い詰め始めたからだ。二次災害以外の何物でもない。嫌な記憶の入ったバケツを思いっきりひっくり返されたようだった。
今思うと、私は親の離婚を言い訳にしていたのだと思う。上手くいかないことがあっても、不得意なことがあっても、自分なりにできることはあったはずだ。自分は不幸だという思い込みに傾くことがいかに楽であるか、この事を以て痛感するばかりだ。
ただ、今でもまだ考える。自分が生きていて良いのか分からなくなることがある。放っておくと大きくなるばかりなので、できる限り、絶望に逆らって幸せになる努力をしたいと思う。自分が自分に「生きてていいよ」と言ってあげたい。
私は、不幸せに逆らうことができるのだと気づくまでとても時間がかかるタイプの人間だったらしい。だが、それは、傷ついて、乗り越えないと気づけないことだったのかもしれない。私、偉かったな。生きていてくれてありがとう。と、とにかく褒めておくこととする。