隣の市
恋人と図書館へ本を返しに行った夏休み最後の日。いつものように市内で用事を済ませて帰ろうとしたが、ふと思いつき隣の市へ行くことにした。
隣の市は山が近い。大きな緑がせり立ち、手前ではユリノキ並木がふさふさと揺れる。
私たちが住むところよりも、ここは古いものが古いままで残っていた。良いものが淘汰されずにそこにある。時間には限りがあるかもしれないが。小学生の頃の地元をなぜか思い出す。自分はここにいていいのだという気持ちがした。
昼食に食べたカフェのメニューが本当に美味しかった。ここ最近でもっとも心躍る食事だったかもしれない。外では周りの客や店員に気を取られてどこか心が落ち着かないから、今回それがそこまで気にならなかったのはとても不思議な気持ちだった。内装も確固としたこだわりと歴史を感じた。バイクなどの乗り物とその手入れ道具がある空間が外にあり、祖父を思い出した。懐かしいのに自分にとっては初めての空間で、味で、今思い返すとなんだか泣きそうになる。このお店に入る決断ができて本当によかった。旅行に先日行ったばかりだったので変に節約してしまうところだった。お金よりも経験を大切にすることの重要さを噛みしめた。
駅前の商店街の昔ながらの文具屋には油彩絵の具や昔ながらの飲食店で使うような「御手洗」の札など今では見られないものが並んでいた。「会議室」の札もあった。アルファベットやひらがなの形が切り取られている下敷きも売っていた。あのお店のおば様も素敵な人だった。お会計の時に何か話しかけてみたかったが、そういう時にとっさに思いつくことがあまりなく、今回も思いついたような気はしたが口からは何も出なかった。エメラルドグリーンの油絵の具を買った。その時から、この色を爪に乗せてみたいという初めての感覚を覚えており、心に光を灯してもらったような気持ちである。
その近くの菓子店は見た目だけでも胸が躍り、入らずにはいられなかった。普段は少し尻込みしてしまって入れないことがあるが、恋人と入れば怖くない。お菓子を恋人に買ってもらった。小さい子どもに戻ったような気持ちになった。
小さな子どもになったような感覚は、お出かけしている時ずっと感じていたような気がする。近くにある緑、古いものも残る景色、各地に散りばめられた可愛いもの、祖父を思い出す、とびきりに美味しい洋食やさん。隣を歩いてくれる恋人。
また来たい。未練が何も残らなくなるくらいの夏休み最終日。