油彩道具と彫刻刀は魔法の道具

私は、油絵を制作することが好きだ。
失敗しても、次に塗り重ねると、その失敗が無かったかのように、それすらもはや予定通りであるかのように、帳尻が合い、良い色になる。上手くいかなかったことが、目に見えて次に活かされている。これがほんとうに嬉しくて、なんだか救われる。
油絵の具の質感は、万物に似ている、と思う。自然物にも人工物にも、固いものにも柔らかいものにも化ける。塗り方によっては薄くなったり厚くなったりする。絵の具は、どの色とも仲良しで、混ざりあっても、乾いたものが重なり合っても素敵なものになる。色はこの世にあるものどんな色でも作れる。下地の色から独立できる。描けば描くほど、こだわればこだわるほど良くなる、というのが他の画材と比べてもとても分かりやすく実感出来る画材だと思う。初めて油彩の作品を作った時、自分はこんなに絵が上手だったんだと思ってしまうくらい向いていると思った。私の制作における居場所だと思った。油絵に出会っていなかったら、自分は絵をサークルに入ってまで描いていなかっただろう。
私は、彫刻をすることも好きだ。油絵ほど期間も作った作品も多くない。でも、こつこつ作り出す心地良さに魅了された。木の塊を削る時の手に伝わる振動と音、匂いに癒される。作業を始めると時間がすぐに過ぎる。彫刻だけは、実は飲食を忘れて没頭してしまう。夜更かししてしまうこともある。木材が小さければ油絵よりも準備と後片付けが簡単で、場所を選ばない。心の拠り所となる時間が家の一角で得られる幸せよ。木くずの量で自分の頑張りが見えて嬉しくなる。油彩と違って、彫刻は失敗すると取り返しがつかないことがある。しかし、私にとってはこれが愛おしい。ゆっくり時間をかけて形を変化させていくゆえに、どこかが欠けてしまっても、細くなりすぎても、これがこの作品の本来の姿であるのだと最終的には納得している。足が4本指になっても、尾ひれが非対称になりすぎても、むしろ私はこの作品がもっと好きになった。

油彩道具と彫刻刀は私にとって魔法の道具だ。絵の具を塗り重ねているとき、木を削る感覚を一心に浴びているとき、私は自分でいることが嬉しくなる。苦手なことを伸ばすより、私は得意なことを伸ばす生き方がしたい。これは、進路を選ぶ理由にはなりませんか。自分の力を発揮出来る場所を選ぶことが、人を生かすのではありませんか。

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