なぐり書き、今、前向きは意志

考えたいけれど考えたくない。
頑張りたいけど頑張りたくない。
ピンとこないことをやらなければならないことがある。
部屋を片付けることが難しく感じて仕方ない。
私は私が死にたくならない道を選びたい。
私には自傷癖がある。髪の毛を抜いたり、皮膚をむしったり、口の中を噛んでしまうことがある。
私は努力することは決して嫌いではない。しかし、自分を傷つけてぼろぼろにして、義務感に縛られながら、他人と比べながらする努力はしたくない。
机に向かってやりたくもない試験勉強をしているときなどに、とりわけ深夜に、私のその癖が色濃くなる。過去に自分の限界を超えてしまったらしく、何かの糸がぷつりと切れて、一定の時間・量をこなすと眉毛がなくなり、手と口には血が滲むようになった。こうなると作業効率はがくっとおちて頭の中も暗いことで満ちそうになる。そういうときは潔く寝る。ここで休まなければしばらく心臓がうるさくなる。
だから私は、自分が楽しんで努力できるように工夫を重ねた。
大学受験のときは、自分の部屋で勉強せずに必ずリビングで勉強した。自分の部屋だと髪を抜いてしまうからだ。一時間勉強するごとに小学生の頃に集めていたお気に入りのシールをポイントカードのように紙に貼っていった。私はそういう努力ができる自分のことが好きだ。
過度に嫌なことから逃げてしまうこともあるかもしれない今だけど、今をおざなりにして未来のことばかり考えて憂いていたあの頃よりは自分に負担の少ないまま進むことができているのではないだろうか。とにかく私は、死にたいと思いたくないのだ。「死にたい」と検索する回数を減らしたい。
考えすぎると鬱々としてくる。しかし、考えなければ進むことのできない、自分の望む自分でいられないタイミングがある。考えることで、自分の意志を掘り出して削って磨いて照らすことができる。自分の中にある前向きさの基盤を点検して、ときに組み直して、生活の指針を俯瞰する台とすることができる。考えずに生きていると、自分が何をしているのか分からなくなる。指針が見えないのにがむしゃらに動いているようなものだ。それもときには悪くないだろうけど。
前向きとは、意志なのだと思う。
しかし、考えないことだって大切だ。私は考えすぎたとき、すべてのことに意味を探し、自分のやるべきことを考えすぎ、未来の不安をくまなく探してそれに対して恐れおののいていた。そのうちずっと考えていないと落ち着かなくなり、不安がない状態が不安になる。ただ、この状態こそ考えていない状態なのかもしれない。不安に流されたまま、抵抗していない状態だ。考えるべきところと考えるべきでないところを明確にするべきだろう。この場合は、心配事を大きくしすぎないことが肝心で、そういったところの思考には積極的に蓋をするとよい。とにかく今は片付けだ。自分が疲れない程度に楽しくやるぞ。自分を大切にするってどこか矛盾した言葉だと思いませんか?でも私はその言葉には自分が進むための大切なものが埋まっている気がするから、心に留めて日々唱えております。自分で自分を傷つけそうになったときのお守りのような言葉として。
私は絶対に大丈夫。大丈夫だよ。



20240927


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