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江戸時代、リンゴは広島県・新暦7月に存在したか?

井原西鶴の「好色一代男」の巻五「当流の男を見しらぬ」の章に「山がつの手籠に入れ林檎の盛りを見せける。それかえと腰につけたる銭をなぐる」と言う表現が出てきます。

山にいる人がリンゴを籠に盛ってきた、それを買えと腰につけていた銭を投げたと言う意味です。

舞台は安芸(現・広島県)、旧暦6月で新暦7月頃に相当します。

好色一代男の初版は天和2年(1682年)です。小学館の日本古典文学全集の解説によれば、この年の門人の西吟が西鶴を訪れた際、見せられた草稿は5巻までとの事で、

そうすると、このリンゴの記述があるのも5巻なので1682年時点で西鶴は、現在の広島県あたりで7月に山からリンゴを売りに来たと言う話を書いていることになります。

大阪夏の陣から約70年経ち、将軍綱吉さんの治世、「泰平の世」が定着した時代の事です。

当時、既にリンゴは日本にあったと言う事だと思われます。リンゴはいつ、どういう風に日本に伝わってきたのか、考えたことがなかったので、どうなんだろうと思ってしまいました。

ただ、広島県あたりでリンゴを栽培していたのでしょうか?それと新暦7月頃に売りにきたと言うのは、本当なのでしょうか?物語の上で面白ろおかしく書いているだけでしょうか?

旧約聖書にエラムの王ケドルラメオルと5人の王の戦いに際して、アブラハムがロトを救出したと言う話が出てきます。

当時の地中海東岸は、メソポタミア方面とエジプト方面を結ぶ交通の要衝でその地域の支配権をめぐり、争いがあったことは確かでしょう。

ただ、アブラハムが少数の手勢でケドルラメオル軍を破ったと言うのは、物語の設定上の話で史実でないかもしれません。

平家物語の一ノ谷合戦で義経が崖を馬で駆け下りて奇襲したと言うのも史実でないと言われています。

井原西鶴の好色一代男は、もとより、架空のお話として書かれているので、「広島県の新暦7月に山からリンゴを売りに来た」も架空の事ですが、

架空の事であっても、読者がリンゴの事を知らなければそういう設定はしないと思いますので、「リンゴ」が当時の日本で知られていたは確かだと思います。

ただ、江戸時代前半期の広島県で新暦7月にリンゴの実が売れるような状態で存在したのかどうか?、ここは事実考証が必要なように思われます。

先週末は台風や線状降水帯の関係で各地に大雨が降りました。

ただ、当初、梅雨入りは遅い、空梅雨、梅雨末期に集中豪雨と言う予報が出ていたと思います。

2週間予報をみると、今後、最高気温28℃-29℃の真夏日一歩手前状態が続き、そうでない日の方が「例外」ようにも見えます。

高温状態が続き、海水温も上昇するとすると、水分の蒸発が増え、雨が降りやすくなります。

夏至(6/21頃)は、一年で最も太陽高度が大きくなる時で、シェークスピアの「真夏の夜の夢」は夏至の夜の物語です。

英語のミッド・サマー(夏の真ん中)は、6月だという事、皐月晴れは本来皐月(旧暦5月=新暦6月頃)の強い日射を指す言葉だと言うことを思い起こしたいと思います。

日本付近では、まだ太平洋高気圧が完全に優勢とならず、シベリア寒気団とのせめぎあいが続いているため、曇りや雨の日もそれなりに多いが、雲がなければ日射が強い時季のため、気温は高くなりがちです。

そして、高温化して海水からの水分蒸発が増えれば台風や集中豪雨の発生に結びつきやすい・・・

現状は、高温化・空梅雨で「例外的に」雨の日があるが、その「例外的」な雨の日こそ、豪雨になりやすいと見た方がよいのではないかと思います。

遅ればせながら、陸稲の「田植え」をしようかと思っています。

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