古典・原典・聖典を読みながら、環境・農業問題について考えてみる

環境関係の法律について

「環境系の法律はどういう論理で作られているか」

と言う投稿を続けていますが、

それとは別にと言うか、多少は関連しながら、

聖書とか、日本書紀とか、ギリシャ神話とか、

そういうものを読みながら、環境・農業問題について考えていくシリーズを始めたいと思っています。

旧約聖書には、「主なる神は人を連れて来てエデンの園に住まわせ、そこを耕し、守る者とされた」と言う聖句が出てきます。

こうした聖句を元に「環境スチュワードシップ」と言う思想が生まれ、イギリスでは、住民参加で田園景観保全活動を行う「環境スチュワードシップ制度」と言うのがあるそうです。

この制度の「日本版」とも言われているのが、農林水産省の「(旧)農地・水・環境保全向上対策」で、現在は、「農地・水保全管理支払交付金」と名称を変えています。

日本は、遥かな昔から仏教や律令制度など、外国の文化を輸入し、日本に根づかせてきました。

農水省が行っているこの制度もそうした「文化受容」の一端と見るべきでしょうか?

ところで日本書紀に興味深い記載があります。

ご謀反を疑われた大海人皇子が「今日から出家の身になります」とお返事する場面です。

大海人皇子は蘇我蝦夷・入鹿父子を打倒した中大兄皇子の弟君です。

蘇我蝦夷の祖父・稲目さんが仏教を受容しようとし、その子・馬子さんの代に聖徳太子とともに反対派の物部守屋さんを倒した物語は有名です。

ですから、仏教が受容されてから、2-3世代の間に「出家すれば、世間の抗争から逃れられる」と言う文化が日本に成立していたとも考える事が出来ます。

(日本書紀の記載が史実かと言う疑いはありますが、こうした記述があると言うことは、当時の人たちが「出家すれば世間の抗争から逃れられる」と言う発想を持っていた事は事実と思われます。)

少し(かなりかもしれませんが)飛躍があるかも知れませんが、こうした例を考えてみると、

日本では、外来思想がどのように受け入れられてきたのか、そもそも、その外来思想では、どのような自然観や価値観を持っていたのかを考えていくことは、現代の環境問題や農業問題を考える手がかりになるのではないかと思われます。

新しいシリーズを始めたいと思います。




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