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チョウチョが見てる夢でないと言う事は証明も反証もできない・・・>お笑い聖書 創世記(0-3)

と言うわけで、
とにかく、本屋さんで売っている聖書は、「最初に神は天と地を創造された」で始まっています。

でまぁ、いわゆる一つの無神論と言いますか、
そんな天地を作った神様なんかいるのか?

って論があるわけですが、

実は、これ、「神様」ってのがいるか、いないかってのは、論理的には証明も反証も出来ないわけです。

なんでかと言うと、この天地、まぁ、世界と言っても、宇宙と言ってもいいですが、

私達は、この天地・世界・宇宙と呼ばれるものの内側で生きているわけでして、宇宙の外には出れないわけでして、

宇宙の外側も見れないわけです。

ですから、天地・世界・宇宙と呼ばれるものの外側に「神様」がいるとしても、それは認識できないわけです。

でまぁ、「科学」ってのは、実は、「真理」じゃないわけでして・・・

これは、カール・ポパーって人が、反証可能性って言葉で述べています。

つまり、例えば、「地球が回っている」ってのは、地球が回っていると言うのと矛盾するデータが出てきたら、反証されることになります。

今のところ、「地球が回っている」のが正しいとされているのは、こういう反証データが出てきていないためで、なんかの拍子に出てきたら、「地球は回っていない」ことになるんですが、

いや、「地球は回っていない」を反証するデータ、先に「地球は回っている」を反証すると思われたデータは、実は他の説明が可能だってことになると、やっぱり「地球は回っている」ことになる・・・

どこまで言っても、暫定的で、絶対不変の真理じゃない、これが科学における「正しさ」なわけです。

ただまぁ、今のところ、成立している科学の体系は、それでもって、日常生活で遭遇する現象を大筋のところは説明出来ていますし、

その科学の体系を応用して作られた技術で、ロケットも飛べば、パソコンも動くってわけでして、

まぁ、非常に、「有効・有用」なわけです。

ですから、科学ってのは、この有効性・有用性の範囲が非常に広くて、
私達の日常のほとんどをカバーしている・・・

ですから、理系の人でけっこう純粋な人がカルトに引っかかったりする・・・

まぁ、「科学」で説明できないこと・・・みたいなものが出くわすと、この科学の有効性・有用性自体に疑問が生じてきて、

やっぱり、神様はいるんじゃないか的な思考になってきて、でまぁ、その神様について、マコトシヤカに説明しているかに見えるカルトに引っかかるって寸法でして・・・

ただ、冷静に考えてみれば、
「科学で説明できないこと」について言うと、

1)今の科学的知識で本当は説明できるのだが、説明できないように思えた(=錯覚)
2)今の科学的知識では説明できないかもしれないが、説明可能性は残っている(=科学が進歩すれば説明できる、
別の言い方をすると、今までの科学知識を反証する結果になっているが、科学の体系を変えて、今回、観察された現象も説明できる科学の体系ができれば説明できたことになる)

って可能性もあるわけでして、
本当に「科学で説明できないこと」なのかって言うと、
そうじゃないかもしれないわけです。

でまぁ、その将来の「説明可能性」も存在しない、本当の意味で「科学で説明できないこと」って言うのはあるのかって
話ですが、

まぁ、例のカントさんは、時間と空間は、人間の認識形式だって仰られまして、

どういうことかと言うと、時間と空間と言う形でしか人間は物事を認識できないわけです。

「地球は回っている」ってのを考えてみると、文字で「地球」って書いて、それを読んでいる時点で、もう、「空間」と言う形で認識をしている、

音声で「ち・きゅ・う」って発音したら、それは、音をある順番、つまり、「時間」と言う形で認識しているわけでして、

科学の観測データ、パネルに表示されようが、針が振れるのを見る形だろうが、
とにかく、なんかの形で「空間」、「時間」的な表示があって、そのデータを、人間は理解できるわけで、

「空間」的、「時間」的でない認識ってのは、人間にとっては存在しない

だから、人間にとって、「先験的に」時間と空間は与えられているってわけでして、

人間は、時間と空間の外には出れない=時間と空間とは何かと言うことが言えないってことでして、

だから、実は、人間は「モノ自体」を認識できない、
時間的、空間的な認識によって、そのモノについて、こういうモノだと思っているに過ぎない、

これがカントさんのお話なわけです。

えー、ですから、神様がいるかどうかどころか、
例えば、
無神論者にして、論理分析の大家のバートランド・ラッセルさんは、「世界の5分前創造説」、

今ある世界は、5分前に創造されたので、その時に「記憶」とやらも創造された、

これはもう反証できないってことを仰っておられまして
どんなに過去の記憶がある、過去の記録がある、って言っても、いや、それも全部5分前に創造されたんだって言われるとそれは反証できないわけです。

でまぁ、例えば、この世界は、「空飛ぶスパゲティモンスター」が創造したんだって説もあるんですが、
これも、証明もできませんが、反証もできないわけでして・・・

つまり、宇宙の外側、時間と空間の外側にスパゲティモンスターさんがいたとして、それを人間は認識できないので証明も反証もできないわけです。

ですから、荘子さんが仰っておられるように、自分は夢の中でチョウチョを見たけど、本当は、自分の方がチョウチョが見ている夢の中の存在なんじゃないか、

って、これも、自分がチョウチョの夢なのか、チョウチョが自分の夢なのか、証明も反証も出来ないことなわけです。

ただし、5分前に記憶も記録も、ビッグ・ボスの新庄さんも全部空飛ぶスパゲティ・モンスターが創造して、そのスパゲティ・モンスターさんが作ったチョウチョが見ている夢が私なんだ論を元に、

月ロケットが飛ばせるか、パソコンを作れるかとなってくると、

これは、チョウチョの夢の中の設定を、ソードアート・オンライン以上に、いろいろ作り込む必要がありまして、

まぁ、空飛ぶスパゲティ・モンスターさんがそういう設定を作ったと言うことにすれば、多分、チョウチョの夢の中で、月までロケットが飛ぶと思いますが、

このOLとともに私も実在するので、チョウチョの方は私が見ている夢なんだ

と、時間と空間、天地・世界・宇宙の内側で考えられた今ある科学の体系が持っている有効性・有用性を覆すだけの「有効性・有用性」があるかと言うと、

それはけっこう疑わしいわけでして
(ついでに言うと、「科学的な正しさ」については、
最小経済と言って、
より少ない論で全部説明が付く方が正しいって「ルール」があるわけです。

これも「ルール」なんで、「正しい」かどうかは分からない、
ただ、太陽が動いていることにするより、地球が動いていることにする方が、少ない論で説明がつくので、地球が動いている方が正しいって言うようにルールが適用されてるわけでして、

そうなると、空飛ぶスパゲティ・モンスターが5分前に世界を創造したんだ、その時作られたチョウチョの夢の中の存在が私なんだ

ってんで、ソードアート・オンライン的設定を作るとすると、たぶん、いや、この世界が実在して、私も実在して、チョウチョは私の夢って前提で設定作るより手間がかかるから、「ルール違反」

ってことになるんじゃとか・・・(爆)

だいたい、チョウチョがやってるソードアート・オンラインゲームのキャラが私だとして、

それがゲームオーバーになった時、ソードアート・オンラインの外にいるリアル・キリト君はどうなっちゃうのか?

この点につきまして、カントさんVSお釈迦様の対決に至る長ーい長ーいお話が必要でして、

そのへんはまた次回以降・・・♪

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