人の怨み、十七条憲法とかと、旧約聖書の天地創造物語についての取り留めのないお話

「か様に人の思ひ嘆きのつもりぬる平家のすゑこそおそろしけれ。(平家物語 巻三 有王島下り)」

平家物語では、平氏打倒の陰謀を企てたとして、俊寛僧都他3名が鬼界ヶ島に流されます。

2名は許されるのですが、俊寛僧都だけは許されず、ついに島で亡くなります。平家物語は、その顛末を語った後、人の思いや嘆きが平家に対し積もっていく事を「おそろしけれ」と表現しています。

実は、いわゆる十七条憲法は第十五条で「憾(うらみ)有れば必ず同らず」と述べ、人の怨みが混乱を生み出していく点を指摘しています。

第一条の「和を以て貴しとなす」は有名ですが、第一条は「上和らぎて下睦びて」と人間の上下関係における「和」を強調しています。

そして、第十五条は、「上下和諧せよといへるは、其れ亦是の情ならむかと」と第一条で上下の和解を説いた理由が人の怨みから生じる混乱の回避にあるとしています。

こうした十七条憲法の論理を踏まえて、平家に対する「思いや嘆き」が積もっていく事が、行く末に跳ね返っていくとする平家物語の部分を読んでみると非常に興味深いわけです。

ところで、日本書紀は十七条憲法のはるか前、大泊瀬幼武(おほはつせべわかたける・後世の漢風諡号は「雄略」)天皇が臣下の吉備上道臣田狭さんの美人妻・稚媛さんを取り上げてしまう事を記しています。

妻を奪われた田狭さんは、その後、朝鮮半島での戦闘に際しサボタージュを決め込み、その戦いで大伴室屋さんの長男・談さんを戦死させます。

大泊瀬幼武天皇の死後、後継者争いで田狭さんと室屋さんが絡み・・・と、混乱が広がっていく様子が日本書紀から読み取れます。

王者が美人妻を強奪する言う点では、旧約聖書でダビデ王が臣下ウリヤさんの妻ベテシバさんを奪う事件と共通しています。

旧約聖書では、その後、ダビデの子供達による抗争が勃発する様子を描きます。いったんはソロモン王が即位して収まりますが、ソロモン王の死後、王国は2つに分裂し、やがて滅亡し、いわゆる「捕囚」の時を迎えます。

旧約聖書の申命記第四章では、「主はあなたたちを諸国の民の間に散らされ、主に追いやられて、国々で生き残る者はわずかであろう」と悲惨な末路を予告するかのように語っています。

同時に申命記第四章は「しかし、あなたたちは、その所から、あなたの神、主を尋ねもとめなければならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう」と再生の可能性にも言及しています。

そして、申命記第四章は、その文脈において、「あなたに先立つ遠いむかし、神が地上に人間を創造された最初の時代にさかのぼり、また天の果てから果てまで尋ねてみるがよい」と、この世界、そして人間を創造した物語について言及しています。

このように、旧約聖書の天地創造物語を、平家物語や日本書紀と比較しながら読むと、非常にいろいろな事を考えさせられるわけです。

今回はちょっと取り留めがなく、話がアッチコッチに行ってしまいましたが、古くは仏教から新しくは民主主義や科学技術に至るまで、日本がどのように外来思想を受け入れてきたか、そして、その受け入れ方が環境問題や農業にどのように反映してきたかを考えていく上で、聖書やギリシャ神話と日本の神話や古典を比較していく時、こうした様々な事を想起しながら読むべきだと思うわけです。

次回から、また天地創造物語を読む事に戻ります。

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