「貰う事も義務」と言う文化の存在

「あなた方もこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、私はいつも身をもって示してきました。」

新約聖書の使徒言行録にあるパウロの言葉です。

受ける=つまり、人から何かを貰う、またはして貰う、
与える=その逆に、人に何かをあげる、またはしてあげる。

これはどちらが「良い事」なのでしょうか。

現代社会では、基本的には「受ける」事が良いと考えられていると思います。
いや、「タダより高いものはない」とか、「何かして貰うとかえって気が重い」とか、そういう風に言われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、それは「貰った」事で得をしていると言う事が前提になっています。そして、「貰いっぱなし」だと「あいつは恩知らず」だと非難されないか、

そういう事を考えて、お返しをするとなるとかえって高くつく、そうした事を考えると気が重い、

つまり、「貰う」と言う事だけを考えると得なのだけれども、社会の様々な人間関係を考えると、必ずしも「得」とは言い切れない、

そういう考えが前提にあって、「タダより高いものはない」と言う事が出てきているわけです。

では、「受けるより与える方が幸い」と言う言い方は、どうなのでしょうか?

この聖句は、いったん「貰う方が得」と言う発想を前提に成り立っているのではないでしょうか。

「貰う方が得」が社会的に常識とされているけれども、いや、そうじゃないんだ、「与える方が幸いなんだ」と言っている

ところで、「贈与論」にはちょっと違う観点が提起されています。

「全体的給付は、受け取った贈り物にお返しをする義務を含んでいるだけでなく、一方で贈り物を与える義務と他方で贈り物を受け取る義務と言う2つの重要な義務を想定しているからである」
「贈り物を受領する義務に関する事実を豊富に見出す事は容易であろう。
なぜなら、クラン、世帯、集会、客人などが歓待を求めなかったり、贈り物を受け取らなかったり、取引をしなかったり、婚姻や血縁の関係を結ばなかったりするわけにはいかないからである。

どうやら、「タダより高いものはない」、「受けるより与える方が幸い」と言った「『貰う事が得』と言う発想見直し」志向は、どうやら<二重否定>の上に成り立っていると言う事があるのではないでしょうか。

まずは「貰う事が義務」と言う文化に基づく社会があり、その次に「貰った方が得」と言う<損得>の文化が生まれ、その文化に対して「いや、タダより高いものはないかもしれない」とか、「受けるより与える方が幸いなんだ」とかと言う別な文化を提起する思考が生まれてきている、

とりあえずは、こうした<順序>と言うか、<序列>みたいなものがあるのではないかと言う事を指摘しておきましょう。




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