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ルカ伝の著者は「牧歌」を読んでいたか?
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に登録をせよとの勅令が出た。これはキリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ帰っていった。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムと言うダビデの町へ上っていった。身ごもっていたいいなづけのマリアと一緒に登録するためである。
新約聖書のルカ伝福音書は、マリア様からイエス・キリストがお生まれになった時は、皇帝アウグストゥスの御代であったと伝えています。
「牧歌」の作者、ヴェルギリウスは、紀元前41年頃、オクタヴィアーヌス=すなわち、後に、皇帝アウグストゥスとなる方と知り合っています。
さて、前回の記事
で、牧歌には旧約聖書のイザヤ書と似たような表現が見られることから、イエス・キリストを予言したものではないかと言う議論が行われたと述べました。
イザヤの預言をイエス・キリストに結びつけているのは、新約聖書のマタイ伝福音書です。
「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていた事が実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう』」(『』内はイザヤ書よりマタイ伝が引用している部分)
ただ、マタイ伝には、皇帝アウグストゥスへの直接の言及はなく、言及しているルカ伝は、イザヤ書の預言を引用していません。
そして、マタイ伝もルカ伝も新約聖書に納められていますが、書かれた当初は、「新約聖書」と言うものはなく、それぞれ、独立した文書でした。
(ルカ伝冒頭の「最初から目撃して御言葉のために働いた人達が私達に伝えた通りに多くの人が既に手を着けています。そこで敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました」と言うくだりは、先行するマルコ伝やマタイ伝を意識しながら、自分こそ「順序正しく書いているんだ」と読めなくもありません。
ただ、そうだとしても、新約聖書に納められたと言うのは、後の世の出来事であって、マタイ伝やルカ伝が書かれた時点では、それぞれ別の文書だった事に変わりありません。)
ですから、マタイ伝はイザヤの預言をイエス・キリストに結びつけている、ルカ伝はヴェルギリウスが保護を受けていた皇帝アウグストゥスの勅令について述べている、ヴェルギウスの牧歌にはイザヤ書に良く似た表現が出てくる、だから、新約聖書と牧歌には関係がある
と言うように単純に言う事は出来ないと思います。
しかし、未来社版の「牧歌・農耕詩」の註釈にはちょっと面白い事が書かれています。
すなわち、牧歌には、「タマエの予言の告げる最良の時代がやってくる」と言うフレーズがあるのですが、
このタマエの予言には、ユダヤ教の予言が多数混じっていたと言うのです。
すなわち、タマエの予言とは
シビュレーがヘクサメトロスの詩形で告げたアポロンの神託を編集したものの一つで、前6世紀頃からローマのカピトリウムに保管され、大事の際に人々にその解決方法を示唆してきた。
ものでしたが、
前83年の火災で焼失し、この詩(牧詩のこと)が書かれた頃には第二集の蒐集が行われていた。第二集は、各地から同類の予言を集めて作られたのでユダヤ教の予言が多数混じっていた
との事です。
ですから、牧歌の中でタマエの予言に言及しているヴェルギウスがイザヤの預言を知っていた可能性はあると思われます。
イザヤ書的な表現が含まれる牧歌第四歌が書かれたのは、前40年頃です。
イエス・キリストの生誕は、正確には紀元元年ではないとの説もありますが、若干ずれていたとしても、とにかく、牧歌の成立の方が先でしょう。
マタイ伝やルカ伝などの福音書の成立は、更に後ですから、時系列としては、
イザヤ書 牧歌 イエス・キリストの生誕 福音書
の順になります。
では、ヴェルギウスがイザヤ書を読んでいたとして、マタイ伝やルカ伝など福音書の著者達は牧歌を読んでいたのでしょうか?