「贈与」経済の限界・・・文明化
「ダヤク族(ボルネオ)は、よそで食事に居合わせたり、食事の準備をしているところを見たりした時は、必ずその食事に加わらなければならないと言う義務に基づいた法と道徳の全体系を発展させさえした」
(マルセル・モース「贈与論」ちくま学芸文庫)
この件については、同書の注釈の中で、制度の比較研究のために「正しく確認すること」が難しいとしています。
例えば、「ボルネオのブルネイ国における強制的取引と言う名でおこなわれているもの」があげられています。
「ボルネオのブルネイ国では貴族がビサヤ族に対して、初めに織物を贈り、後にそれに法外な利息をつけて長年に渡って支払わせていたことを記している。誤りは文明化されたマレー人が、それほど文明化されていない同胞の習慣を利用して彼らを搾取しており、彼らを理解していなかった事に由来する」
つまり、モノを贈られた場合、モノにはハウ(霊)がついていて、霊はそのモノの元々の所有者のところに帰ろうとする、
モノを贈られた人は、何らかの形でモノを贈った人に「お返し」をしないと、霊がつきまとい、悪い事が生じる、
この習慣を利用して、貴族は最初に織物を贈り、「お返し」を要求した、その際に、「利息」を要求したと言うことなのですが、
この状況を注釈の中では、「文明化された人が文明化されていない人の習慣を利用して搾取」していると表現しているわけです。
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