孤独なんだけれど、幸福

 2025年に入ってから、早や一ヶ月が過ぎようとしている。その間、プライベートで会ったのは女房以外誰もいない。現在の職場では仕事以外の付き合いが極力起こらないように気をつけている。し、皆んな周囲は若い人たちばかりだから、あえて下っ端の年寄りと仲良くなる必要もないわけで、そういう意味では人間関係の煩わしさが起こらない理想的な環境と言えるのかもしれない。 女性がやたら多い職場ではあるけれど、昨今流行のセクハラとか会食とかは無縁。それにデカい組織でも外資との合弁会社だから、コンプライアンスとガバナンスには滅茶苦茶厳しい。そういう点でも期せずしてラッキーだったかなと(笑)
 音楽業界のセクハラ問題とかモラル問題とか、直近まで他人事ではなかった。のでいろいろ思うところはあるのだけれど、そもそも倫理観がちと破綻してる連中が集まるからこそのエンターテイメントであり娯楽なんだから、そりゃぁ一般人の皆さんを楽しませるためには、破滅的な人生を味あわなければならない宿命にあるのですよ、シェイクスピアの悲劇のように。
 最近、ようやく「仕事は仕事、プライベートはプライベート」という生活の仕方に自覚的になった。今でもあんまりよく分かりはしないし、自分自身に向いているとは思わないけれども、そういう世界で一生を終える人生もあるのだな、という事実に気付く。
いわば人生経験を積んだってわけですね(笑) 
 今まで好きなことを好きな仕事として選んでそのまま今まで来てしまったジブンにとっては新鮮かつ衝撃的であった。「あぁ、だからなんか羨ましがられちゃってたんだなぁ」と。それは給料の額だけの問題じゃぁなかったんですね。
 夜中22時、一人で焼き鳥屋にこの寒い中🥶出かけるべきかどうか悩んでいた。焼き鳥が食べたいんだけど、そんなにお腹は減ってない。明日だっていいじゃん、お目当ての方の焼き鳥屋さんはすでに閉まっている。でもま、明日は気が変わってるかもしれないし、と結局出かけてみた。
 店には、すでにカップルが3組、距離が近い小さな焼き鳥屋故、店主との会話が漏れ聞こえてくる。どうもお客さんは同業者さん飲食店関係の若者らしい。「流れる包丁人」と言ってたかな? どうもこの界隈で修行を積んで転々としているそうだ。でも、なんかみんな知ってる店ばっかりやなぁ、とぼんやり聞いていた、けれども昨今飲食業界も物価高騰やら人手不足やらで大変らしい(肌感覚として)
 共感、なんちゅうか感謝、その時、なんだか俺は気づいていた。
 あぁ、この人間社会は色々な人々がいろいろな役割分担をしながら続いていってるんだなぁ、と。 今働いている職場は、一日だけでも一万人くらいが従業員として稼働している巨大組織だ。その中には、飲食を手掛けている人もいれば清掃に従事している人、警備員、ゴミを仕分けしている現場やトイレをピカピカにしている方の技術を間近に見られるんだ。いわばサービス業の裏方の世界そのものを見れて、そりゃぁもう皆さんに感謝、しかないなぁ。
 傲慢(ごうまん)でいた時の自分自身を知っているからなおさら。「欲望の充足」それだけじゃぁ幸福にはなれんのですよ。
 今、独りでいるからこその「幸福」ってあるよなぁ、としみじみ。
 その実感も、誰か利害関係を超越した必要としてくれるほんのわずかばかりの人がいるからやなぁ、と感じている。
 いい人になろう。 
 そこなんですよ、最終目標は🦏
 
 

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