元丘サーファーは今何をしているのだろうか。
思春期の頃から思っていたことがある。
かっこつけてもかっこつかないやつはどうしたらいいのか。もしかして一生、救われないのか?
野球部で中高六年間坊主頭だった私はトイレの鏡の前で前髪を無造作にチネって綺麗にスタイリングしていく同じクラスの美男子に憧れて彼の横に立ったことがある。
まず横に立つことがおこがましいことはわかっている。
力士が土俵に廻しをつけずにフルチンであがるようなものだ。はじめから負けている。
だが、年頃の少年はかっこつけたかったのだ。ワックスというものを頭につけて髪を逆立てることによって他者にかっこいいと思ってもらえると本気で信じていたのだ。
そして、即悲しいお知らせだが三ミリの坊主にワックスをつけても髪は逆立つことなく少し光沢が出るだけだった。ちょうどボウリングの球と同じようなテカリ具合だ。だから、iPhoneに頭認証があるとしたらおそらくボウリング場へ行けば簡単に解除出来る。
大変、申し訳ないがこれがこの文章の中で一番有益な情報かもしれない。
さて、そんなかっこつかない思春期を過ごした私はもちろん今もかっこよくはなれていない。クラゲのようにふらふらと人生を漂っている。海の中では流れに任せてもMYWAY感が出てそれも一種のかっこよさに映るかもしれないが陸の上で漂っていても誰かの通行の邪魔になるだけだ。かっこよくはない。
そもそも何をもってかっこいいのかは人それぞれの価値観があり、簡単に定義することは出来ない。だが、きっと色んなものを含めた生き様のことを指すのだと私は勝手に思っている。
今も昔も生き様がかっこいい奴はずっとかっこいいし、かっこわるいやつはずっとかっこわるい。
だから、きっと私が元かっこいいやつになれる日は来ないだろう。
どう足掻いても星の下にそれは公平で平等なのだと思う。
生まれた星を間違えたのか、星が間違えて私を生んだのかはわからない。しかし、私はそれでも父と母のハーフとしてこの星に下に生まれてきたのだから、公平と平等は受け入れても諦めるわけにはいかない。
父と母は今でこそジジイとババアだが過去はそれぞれ受精卵だった。
元受精卵コンビはかっこいいを諦めなかったから今、ジジイでありババアでいられる。
かっこいいやつもかっこわるいやつもジジイとババアになったら関係はなくなるのだと思う。
ジジイかババアになったら、今までの人生で得てきたものや残してきたものなどは結局、刻まれた皺の数には劣り、他者と比べるのは持病の数と自前の歯の数くらいになる。かっこいいもかっこわるいもない。そこがゴールなんだと思う。
だから、それまではどれだけかっこわるくても公平で平等の星の下に簡単に人生を諦めたらダメなんだと思う。
かっこわるくてもかっこわるいやつなりの人生を歩むことは出来る。
決して海に出ることがないタイプのサーファーだったとしてもその後、丘でどのように生きたのかが重要だ。
ジジイになって遺産として誰かにサーフボードを残せたら、丘だろうと海だろうと元サーファーには変わりない。
歴史は後の人に勝手に勘違いされる。
でも、それはその人が人生を懸命に生き抜いたという証のひとつには変わりない。
そんな生き方に憧れる人はいないかもしれないが緊張した人生を送るどこかの誰かにとっては救いになるかもしれない。
だから、救われる日までどれだけかっこわるくても、もうちょっと生きてみないか。