自粛生活を終えて
街に出るとほとんど以前と変わらない日常が戻ってきたように見える。
誰にも気を使わずに感じていることを書くと、社会性のない私にとって、緊急事態下の自粛生活はこの上なく楽ちんで性に合っていた。
あの2か月は、苦手なママ友付き合い(幼稚園、習い事での立ち話)からも解放され、家をパワースポットにするべく断捨離&模様替えをして、子どもたちと一緒になって、今日はなにする??と時間を気にせず遊び(近所でも子どもに混ざって本気で遊ぶ大人をよく見かけた)、幸福だった。
習い事のお金もかからず、良い季節だったから光熱費もそんなにかからず、公園しか行かないから食費ぐらいしかかからなかった。
この暮らし、ぜんぜん悪くない。
(私と同じように不登校、引きこもり当事者・経験者は自粛中でも淡々と暮らしていた人が多いのではないかと想像する)
というかむしろ、この暮らしが終わるなんて、日常に戻るなんて嫌すぎる‥‥。。
という思いが爆発し、保育園の仕事を辞めた。
そう書くとあっけないが、決断するまでにはものすごく悩んだ。
保育士という仕事柄、フリーで担任を持っていないとは言え年度の途中で辞めるのは責任感がなさすぎるんじゃないかとか、2年間雇用保険をもらいながら、保育の職業訓練に通ったからには保育園で働かなきゃいけない‥とか、あらゆる“べき”や“ルール”に縛られていたし、何よりも、やっと資格がとれて、さぁ新しいキャリアをつんでいくぞというところだったのに。
本当にいいのか私。後悔するんじゃないか。
2か月ずっとぐるぐる考えていた。
素敵な先輩保育士さんもいたし、コロナがなかったら普通に続けていたはずだ。
だけど、コロナで休業補償がなかったり、園長の人を大切にしない部分に入職早々に気付いてしまい、第二波、第三波がきて子どもの学校が休校になった時、また同じことが繰り返されると思うと、続けることに現実味がなかった。
子どものために、、というよりも私自信が、自分の子どもとの時間を味わい、成長にコミットすることを、コロナ禍だけにとどまらずこの先も続けていきたいと気づいたのも大きな理由だった。
これからは、就職して働くというスタイルにこだわらず、何がしか、自分の経験や学びを微力ながらも生かして、側(はた)を楽にする=はたらく、貢献できる方法を探りたい。
大勢の子どもと保育園で楽しく過ごすことよりも、里親になって1人の子どもを家庭に受け入れうちの子たちと一緒に育てるという選択肢や、生きづらさを感じながら子育てするお母さんの癒しの場のようなものができたら、、などやりたいことがぼんやりと見えてきた。
コロナ禍では、いろいろな組織や人の本質が見えて、モヤモヤしたり、マイナスな自分の感情に翻弄されることもほんとうに多かった。
保育園だけでなく、不誠実な会社や、人から面倒な役割を押し付けられてしまったり、なんだかなという出来事がかさなり、ふと気づくと私はとても弱っていた。
その園や会社、役割を引き受けることを選んだのは私なんだけど、わかっているだけに自分の見る目のなさや、うまく立ち回れなかった自分を責めて落ち込んだ。
弱目は祟り目、というように弱っている時は直感や判断力もにぶって、自分を窮地に追い込む道をなぜか選んでしまったりする。
がんばれない時は、今の“希望がない感じ”がずっと続いていくような気がしてしまうけど、今の自分は一部分であって、自分のすべてじゃないし、本質でもない。
大変な時は、“大きく”“変わる”時と聞いたことがある。良いきっかけをもらったと思って、大きく方向転換していきます。