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技術は関係ないと知る

公園を歩いていると池の向こう側から「バッバッバッ」と、何かを広げるような音が聞こえてきた。扇子を広げて出す音だ、多分。
結構、響く。
木々のせいでよく見えなかったけれど、数人が太極拳のようにゆっくりと動いている。中国舞踊か何かだろうか?

時代劇を見ていると、「バッ」と扇子を開くシーンが度々出てくる。
水戸黄門だったか、大岡越前だったか、暴れん坊将軍だったか忘れたけれど、要所要所で決め台詞の前に「バッ」とやる。
小学生だった頃、あれが格好良くて、「バッ」がやりたくて、家にあった扇子で練習したことが思い出される。

実は「バッ」には秘密があって、あの音が出る扇子の仕様がある。
日本画が印刷された薄い和紙、数が多く細い骨、そういう作りの扇子ではあの音は出ない。
ハイカラな扇子ではダメ。
母が持っていた扇子で何回も練習したけれど、どうやってもあの強くて大きい乾いた「バッ」にならなかった。
きっとまだ子供だから出来ないんだ、大人になって力が強くなって上手く開けるようになったらあの「バッ」になるんだ、そう思っていた。

ある時、夏休みに遊びに行った祖母の家で厚めの紙と太い骨で作られた無骨な扇子を発見した。
試しに開いてみると、大して力を入れていないのにあの「バッ」という音が鳴るじゃないか。

「これかい!!」

何年生の夏休みだったか忘れたけれど、僕は「バッ」の真相を知った。
扇子を開く技術は関係なかった。

中学生になって、父が録画した少林寺の映画にハマった。
ジェット・リーのアクロバティックな動きと、テレビのスピーカーから聞こえる「バッバッバッ」という音が織りなすハーモニーに魅了された。
修行の基礎ともいえるあの有名な型や、足を回して跳ね起きるアクロバティックな技を何度も練習した。
やれどもやれども「バッ」が聞こえない。
映画のシーンの様に、レンガの床が窪むまでやらないとあの音はならないのかもしれない。

小学生の時に知った「バッ」の真相を僕はすっかり忘れていた。

僕が敬愛してやまないhideさんもそんなことを言っていた。
エレキギターを買いたての頃、いくら練習してもロックバンドが出すような歪んだ音が出ない。
きっと上手くなれば歪んだカッコいい音が出せるようになるんだ、と思っていたと。

あの無知ゆえに夢中になれる感覚を、久しく忘れてしまっている。

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