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学問の多様性について
学問というのは、縦と横とがある。縦とは深さとか、その分野のレベルの高い低いであり、横とはどんな学問がこの世にあるのか、つまり広さである。
昨今、マスメディアで取り上げられるのは、その学問の高低が多いように思う。例えば入試でいうと、この学校がレベルが高い、偏差値が高い、だとか有名だとか、しきりに報道されることが多いけれども、それは学問の縦について論じられている、と言える。もちろん学問の横について、取り上げられることも中にはあるが、例えば大学ランキングだとか論文が取り上げられた数だとか、もちろんそのことも大事ではあるが、もっとこんな学問分野があるだとか、こんなユニークな学科があって、ここでしか学べない、だとかもっと学問というのは多様性にみちているのではないかと思う。
内田樹、ウスビ・サコ著『君たちのための自由論 ゲリラ的な学びのすすめ』(中公新書ラクレ)の中で、内田さんが仰っていたことは、大学とは学生と学生、学生と教員が出会う場であるというだけでなく、学生と学問が出会う場である、ということだが、まさに世の中には、もっと多様な学問分野や面白い領域というものが、あるのではないかと思う。
もちろん既存の学問分野でも、もちろん現在、多種多様なものがあるが、昨今のこの難関大学に入るために、あくせくと勉強するというのは、目的としては疑問に思ってしまう。もちろん現在受験勉強に取り組んでいる学生には、応援したいと思うけれども。
どんなきっかけで、自分にあった、または面白い学問に出会うかはわからない。
現在の教育機関を批判するわけではないが、例えば大学入試というものがあるために、予備校という教育機関ができる。そして予備校というのは大学入試のために設立されたものであるから、自ずとそこで提供される学問も入試で出される教科ということになる。その部分がしたがって、予備校は、入試に出される既存の教科の決まった分野や知識を学生に提供することとなり、入試に必要のない学問分野や領域はその場では学べないということになる。そんなことは百も承知だよ、といわれるかもしれないが、例えば、頑張って入試を突破し、大学に入学した折には、自分の学びたい分野をとことん学ぼう、と思っている学生は入試の勉強をすっ飛ばして入試対策の勉強を始める時点で、すぐにその学びたい分野を学べはしないだろうか、と思っているのは私だけだろうか?
もちろん入試だろうと、色々な教科があり、その教科にはそれぞれの面白みがあるわけだが、入試のための勉強をするなら、それをすっ飛ばしてやりたい勉強をすぐに取り掛かれる環境があれば、ウハウハなのはいうまでもない。
上述した、大学というのは、学生と学問が出会う場所であるということを重視するのなら、入試の勉強のために出題される分野のみを学ぶだけでは視野が狭いということが言える。もっと広く学問分野を見渡して見ればひょんなことから、面白い分野と出会うこともあるのではないだろうか。
昨今、若者はよく自分探しというものをする。巷の学者などは、自分のやりたいことを見つけよう!だとか、他方、自分などというものはない、だとか色々なことを言うが、私は自分探しは大いにすべきだという立場だ。むしろ自分はどんなことがやりたいか、どんな学問分野を学びたいか、どんなことに心を動かされ、何を人に提供していきたいか、などということを探す、ということに労力を費やすべきだということを思っている。もちろんそのようなものはすぐには見つからないし、何か「えいや」、とその世界に飛び込んでみることで、それが自分に合うか合わないがわかったりするので、考えすぎと言うことも、よくないということはあるが、アンテナは常に張っておくことが大事だと思う。
ともあれ、自分探しをしている方や、受験勉強をしている方も皆、一所懸命に取り組んでいるわけであるから、それは素晴らしいことで、応援したいと思う。
君にエールを!
I cheer for you!