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だいすきなルンルンについて
こんばんは、さいです。
今日は超久しぶりのすきを解剖するシリーズ。
わたしがだいすきなVtuberルンルンについて愛を語っていこうと思います。
ルンルンとの出会い
ショートで流れてきたりするので、Vtuberという界隈があるというのは知っていました。1人1人について深く知るとか配信をがっつり見るとかではなく、切り抜きを流し見するくらいの感じだったのでハマる予感とかはあまりなかったんですよね。そこに、ルンルンが現れました。気づいたらいた、とかではなくてまさに現れた!という感覚が強かったのは、わたしにとってルンルンの見た目しかり紡ぐ言葉しかり全てが輝いて見えたからだと思います。
典型的なかわいさと、非典型的な言語化力
典型的なかわいさ
ルンルンはプリキュアとかジュエルペットとかにいそうなザ・可愛い!獣型の見た目をしています。いわゆる典型的なかわいい、ですね。
ここで可愛い、について考察してみたいのですが、人型と獣型でかわいいの獲得しやすさが違うなと思っています。
人型だと美醜の判断基準や好みが分かりやすいのでビジュアルで興味の強弱が変わりがちですが、獣型の容姿をしていることでなんか可愛い!いいね!の判断に行きつきやすいのかなと思います。猫ちゃんの好みの顔ってパッと思いつきますか?
人の顔だと二重がかっこいいよねとか塩顔が好みなんだよね、とかある程度自分の中でこういうのが好き、というポイントを言語化しやすいですが、別種族だと少し難しくなるのかなと思います。なんかある程度みんな可愛いよね?と思ってしまうというか…
ゆえに、獣族であるルンルンは「ルンルンって可愛くていいよね!」と思われやすく、典型的なかわいい!という評価を人型よりも得やすいのではないかと思います。
非典型的な言語化力
一方で、ルンルンの言語化力は非典型的、群を抜いているなと思います。わたしは、自分自身の好きや自分が受けた痛みを人にわかりやすく、衝撃を持って伝えられる人が1番言語化力があるなって思うんです。
よくある時事ネタや人のお悩み事へのアンサーって良くも悪くもわかりやすいと思っていて。こういう類のテーマに対しては、どんな基準を設けるにしろこういうことが正しい・正しくないという結論をいったん出すことがある程度求められるのかなと思っています。基準をどこに設けるのかはそれぞれの自由ですけどね。だからこそ、理由づけがしやすいのだと感じています。
一方で、自分自身の好きや自分が受けた痛みを人と共有するのって難しいと思います。
たしかに傾向はあるかもしれませんが、好きという感情は自然に湧いてくるものです。そして、自分が受けた痛みについては"なぜ痛んだのか?"という理由よりもひとまずショックの大きさに目が向くものです。
自分がシンプルに受け取った感情をいったん咀嚼して、受け止めて、その上で他の人にも同じくらいの熱量を感じ取ってもらえるような表現をする。そんなふうに伝えられるのがルンルンなのかなと思います。
だからルンルンの好きなものは輝いてみえるし、
ルンルンが受けた痛みは同じように痛く感じる。
だから、ルンルンのことをわたしは好きになったのだと思います。
今回は久々にすきを解剖してみました。
ルンルン、初期からあからさまに人気ですし伸びもすごくよかったですよね。でもその伸びに対して驕らず小さな獣として側にいてくれるルンルン。
ずーっとルンルンを春のひだまりの温度で見続けられたらなと思います。
それでは、今日はここまで。
明日のあなたにほっこりする良いことが起きますように。