
真面目系クズとはなんなのか
私が自称している真面目系クズは客観的に見たらという意味だったりする。
こう言うと、
「誰かにクズって言われたことがあるの?」
と言われそうだが、幸いなことにクズだと言われたことはない。
ただ、他人に話せば100%クズだと言われるエピソードがいくつかある。
「そんなの誰でも一つや二つあるよ。」
そう思う人も多いと思う。
ここでポイントになってくるのが真面目の存在だ。
ただのクズではない。
私は他人から真面目に見られる。
特に何をしたわけでもないのに、真面目に見られるが故にちょっとしたミスも「いつも頑張ってるから、これくらいは気にしないで。」と言われるのだ。
いいことだと思われるかもしれないが、実はいつも頑張ってなどいない。
むしろサボりの常習犯だったりする。
これが真面目系クズの実態。
どこにでもいる人のはずなのに、なんでか真面目扱いを受け、なんでか色々許されている。
そしてそれに甘えて生きている。
いい環境のように見える。
私もいい環境だと思う。
きっと、周りに恵まれて生きてきた何よりの証拠なのだと思う。
でも、私は嫌だった。
真面目でいたくないのに、真面目と評価されるのが気に食わなかった。
私には勝手に思い描いている理想像のようなものがあって、そこに真面目の要素は要らなかった。
そんなに嫌なのに、なぜ真面目系クズでnoteを始めたのか。
それはここ最近、なんとなく自分を受け入れ始めたからというのがある。
よく言う、年齢を重ねたから、というやつだ。
理想像と違う人生でも、真面目に見られても、クズでも、どんな形でも私に生きていてほしいと思ってくれるであろう人たちの存在に30を超えたあたりでやっと気づいた。
今もまだ、理想との落差に一人で勝手に落ち込んでは気分を低空飛行させている。
それでも、こんな文章を書いて世間に晒している時点で、自己肯定感は昔より上がったと言えるだろう。
昔はこんな自分の内面を誰かに晒すなんてこと、理想から遠い行為すぎて思いつきもしなかった。
(この理想についてはまた別の記事で書けたらと思っている。)
かつて私が目指した人生とは違うけど、昔の私より今の私の方がほんのちょっぴり好きだと言える。
これからも真面目系クズの自分を許しながら生きていこうと思う。