桜を見て儚いと表現するワケ。
今のこの時期、桜が開花しそろそろ満開になりつつありますね😁
南の方は3月中旬から咲き始め、
北海道では5月の上旬が見ごろになるようです。
さて今日は、
この桜を見てふと感じたことがあったので
それをブログにします😁
桜って咲き始めると満開になるまでが早くて、
満開になったと思ったら
今度は散るまでが早いじゃないですか。
その桜がパッと咲いて
パッと散るのを見て、
儚さを感じる日本人は多いんだろうと思います。
ではなぜ日本人が
桜の咲き散りを見て
儚さを感じるのかを
僕なりに深掘りしていきます。
まずは桜の花が咲いてから散るまでの様子を見て
最初に儚いと感じた人は、
おそらく身近な人の死、
もしくは
可愛がっていたペットの死と
照らし合わせて見てたんだと思います。
つまり、
人やペットの生き死にと桜の花の咲き散りとが
リンクして見えて、
そのとき身近にいた生物の死が儚かったために
桜の咲き散りも儚く見え、
同じように例えたんだと思います。
同じ様に
人が一生懸命に生きた例えとして
蝉の一生も使われますよね。
長い間じっと地中にはいますが、
地上に出てきて精一杯の声をあげて鳴いたと思うと、
一週間後には力尽きて死んでしまう。
この蝉のように
”精一杯生きよう!”みたいな
教訓として人の人生も例えられますね。
さて今日の結論です。
桜を見て儚いと表現し始めた背景には、
実はそう表現した人の身近に
亡くなった人かペットがいたからというのが
僕の考察です。
このように法律や文化だけではなく、
表現にも必ずそう言われるようなった理由、背景があるので、
そこを深ぼっていくと自分の見識も深まりますし、
「あっ、そういうことだったんだ!」という気づきにもなります。
それが正しいかどうかは
後にして、
まずは色々と考えることが
大事なことなんですね。
なぜそれが大事なのかということは、
また別の機会にお話しするとして。
なにより
新しく気づいてわかること自体
楽しいですよね😁
この話「面白いな」と思った方は
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ではまた😁
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