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エルサルバドルへ来て1年
ハイ、ブエナス。
中南米・エルサルバドルへ来てちょうど1年。
◯JICA第3活動報告書提出。
◯映画『こんな夜更けにバナナかよ』
◯エルゾンテのサブローさんとの出逢い
ということで、エルサルバドルへ来て、アッという間に1年が経過した、、、
JICA海外協力隊員は、赴任して3ヶ月、半年、1年、1年半、2年の、トータル5回、報告書を提出しなければならない。
そして、今回ちょうど1年ということで、第3中間報告書の提出となる。
正直3ヶ月前に既に出来ており、個人的には、前回のコロンビア時代は何だのか?というくらい、充実した活動を遂行することが出来たと、感じている。
双方において、いきなり学長や部長が変わったりして、ペースダウンしたものの、、、
ココでは、活動が滞るということはなかった。
その違いは、活動を共にするカウンターパート(CP)との関係性が非常に大きい、、、
やはり、CPが、日本やJICA協力隊に対して、理解がないと一緒に活動はムツカシイ。
また、JICA専門家プロジェクトとのコラボレーションも大きい。
基本的に、JICAプロジェクトは、最初にコンサルなどの専門家が入って、後に必要とされる隊員が要請される場合が多い。
しかし、コロンビア時代のように、わざわざ協力隊員なんかと一緒に余計なことまでしたくないと思う専門家さんも、少なくはない。
だから、コレも、専門家さんとの関係性によって、大きく左右される。
正直、配属先やCPと上手くいっている隊員は、多くなく、、、
要請してきた配属先に必要とされていると感じる隊員は、少ない。
もちろん、ソレには、要請から派遣までのタイムラグで、派遣された頃には、要請を出した人が既にいないということもよくある話である。
しかしながら、結局のところ、人間同士。
相性に尽きる。
ただ、やはり、文化や習慣の違いは否めない。
かと言って、ソレを強制ところで、一過性に過ぎず、持続可能に欠ける。
だから、いちいちイライラしていても、己が潰されるだけなので、、、
『求めない』のが1番である。
さて、そん中で、先日エルサルバドルで映画『こんな夜更けにバナナかよ』の上映会があった、、、
5年前、コロンビアへ派遣される直前に、ちょっとだけお手伝いした映画である。
やはり耳からスゥーッと日本語が入ってきてスペイン語字幕を追いきれなかった。
しかしその分、さまざまなことがシンクロして目からチョロチョロ水が溢れる、、、
17年間寝たきりで、喋れなかった、じいちゃん。
そのじいちゃんを17年間介護し続けた、ばぁちゃん。
13年前に自死した、高校バスケ部の仲間。
そして、三浦春馬くん、、、
また劇中で『ボランティアとは?』
と何度も投げかけてくる。
個人的には、ハンディある子供たちと2年間一緒に生活したり、、、
児童養護施設で働いたり、、、
JICA海外協力隊員として活動したり、、、
有償である以上、ボランティアではないと思っている。
ただ、仕事とも感じていない。あくまで生活の延長くらいだから、苦にもならないし、ズーッと遊んでる感覚。
そう、『人は、人に支えられて、生きている』のである。
ふと、映画の上映と一緒に映画に出てくる日本料理を提供出来れば、面白かったな、と。
いなり寿司、ラーメン、ジンギスカン、〆のソフトクリームはバナナ味とか、、、
あ、そう言えば、この現場、完全無償ボランティアだったな、、、
で、ちょっと時間を持て余してきたので、、、
24キロ歩いて、エルゾンテという街に、サブローさんに逢いに、、、
まだ派遣前の日本にいる頃に、ネットでサブローさんの存在を知って、お逢いしたかった方。
年齢も6つ違いで、昭和の日本、内戦のエルサルを知る方。
過去のJICAエルサル隊員の事故や事件を知る方。
ここ数年のエルサルの変化を目の当たりに生きてきた方。
話は尽きることなく、聞き倒してしまった、、、
それでも、また改めてちゃんとインタビューしてみたい方。
エルサルに来て、1年の最後の日に、サブローさんに出逢い、ずっと避けてきたサーフィンデビューも出来た。
やはり、節目節目は、大切にしたい。
来月11/1には、映画『逢いたい』がちょうど20歳のバースデーを迎える、、、
どこかで、静かに、思い出してもらえると、幸いである、、、
そして、今年の年末年始は、ポルトガルからスペインのカミーノ、『ポルトガル海岸の道』約260キロを歩くことにした、、、
最幸のエルサルバドル2年目のはじまりはじまり。